OTO の コラム
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2003年

『テレビ見てゴロゴロ』
◆肥満、糖尿病予備群に 師走に入って、寒くなってくると、外出するのがおっくうになる。「週末は、こたつの中でテレビを見ながらゴロゴロ過ごそうか」 こんなことを考えている人たちに肥満や糖尿病が増えるという海外研究が報告された。 米国看護師協会が肥満でない看護師約5万人に対して「週に何時間、テレビを座って見ているか?」を尋ね、6年間にわたって追跡調査した。 この間、新たに肥満者の仲間入りをした3700余人の中で、肥満発生率を1週間のテレビ視聴時間数に分け、テレビをほとんど見ない人(週1時間)と比較したら―― ▽2〜5時間=1・22倍
▽6〜20時間=1・42倍
▽21〜40時間=1・65倍
▽41時間以上=1・94倍

 1日当たりテレビを見るのが2時間長くなるごとに肥満発生率は23%高くなった。 同様の調査で、糖尿病の発症率を見ても――

▽2〜5時間=1・09倍
▽6〜20時間=1・30倍
▽21〜40時間=1・44倍
▽41時間以上=1・70倍

 こちらもテレビが2時間延びるごとに糖尿病の発症率が14%上がっていた。 順天堂大学内科教授の河盛隆造さんは「テレビをじーっと見ている時は、車を運転したり、ミシンを動かしたり、読書しているといった場合より、ずっと体の基礎代謝量が低いのです」と説明する。 同じ座っている姿勢でもテレビはエネルギーを使う程度が少ないうえ、飲食も伴うことが多いので、太ってしまうというわけだ。 以前「カウチポテト族」という新語がはやった。日がな、長いす(カウチ)に寝そべってテレビやビデオばかり見ている人を揶揄(やゆ)する米語だが、肥満や糖尿病の予備群でもあるわけだ。 「テレビは番組もコマーシャルも食べ物の情報がはんらんしているので、より食欲を増進させる面が強い。特に子供たちに影響は大きい」(河盛さん) 家庭でテレビ画面に向かう時、トレッドミル(自転車こぎ運動器)やダンベル体操をしながらでは、どうだろう?

                2003.12.19 手帳より

『もう師走も20日』
 「それ天地は万物の逆旅(げきりょ)にして、光陰は百代の過客(かかく)なり」。 この世を万物が泊まる宿屋(逆旅)に、歳月(光陰)を永遠に旅する旅人(過客)にたとえたのは唐の詩人、李白です。
  李白はつづけて、はかない浮世であれば古人が夜に遊び、夜を楽しんだのも「まことに以(ゆえ)(理由)あるなり」と言われます。自身、「李白一斗、詩百編」の世評通りに酒を友として、夜ごと大輪の才華を咲かせてもらったのでは。
  李白の言葉を踏まえて、「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又(また)旅人也(なり)」(おくのほそ道)と書いたのは松尾芭蕉です。夜に遊んだ詩仙と、漂泊の旅に出た俳聖。世の無常を観じるところまでは同じでも、その先はずいぶん違っていたらしい。 壁に掛けた日めくりの暦が薄くなりました。クリスマスの飾りで装った通りを歩けば、書店などの店先に来年の日記帳や手帳が並んでいます。週が明けると年賀はがきの受け付けもはじまります。
  年は疾(と)し(速い)、という。光陰という旅人の走り去る速足を肌身で感じ、追い立てられるような気ぜわしさを覚えるのは、一年のうちでもこれからに違いないでしょう。忘年会の季節も始まりましたね。忘れたいことが多すぎて、ついつい財布と肝臓を泣かせる人もいるだろう。芭蕉より李白の道に心誘われるむきは、詩百編ならぬ後悔百遍に終わらぬよう、ご自愛のほどを〜〜。

                2003.12.11 手帳より

『にこにこフェスティバル』
 歩いて、にこにこフェスティバル(友達も大勢来ています)に行きました。今日は良い天気で、歩くと汗が〜〜。 増岡弘氏の講演はやはり、声優なので話はうまいですね。言葉は如何に話すか、簡単ではり、難しいですね。おとは優しさが少ないです。増岡さんは家族や夫婦の話や学校でうるさい生徒を先生が優しく静かにしていく話しなどを聞きました。1時間半〜あっとゆうまで終わりました、また、聞きたいと思う
 おと。

『障害者の日って、何だろう』
 12月9日は、「障害者基本法」により、「障害者の日」と定められています。この日は1975年、国際連合で「障害者の権利宣言」が採択された日でもあります。 ハンディキャップがある人の「あたりまえの暮らし」を実現するには、就労をはじめまだまだ多くの問題が残されています。みんなでともに生きる社会をめざして、私たちにできることからはじめてみませんか。

                2003.12.07 おとより

『ブラインド』
 50歳を過ぎて緑内障で失明した元芸能プロ・代表・竹脇義果さんが、50代半ばから「ブラインド」という視覚障害者によるヨットレースに挑戦。イギリスで行われた世界選手権に出場して銅メダルを獲得するまでの苦難や周囲の支えを描いたノンフィクション小説を出しました。
 フェスティバルは、健常者2人が言葉と体の動きで2人の視覚障害者を補助し、計4人で船を操って走破タイムを競うスポーツで、視覚障害者がセール感覚や船の動きをつかむには高い技術が求められます。竹脇さんは大学時代、ヨット部に所属して活躍したが、逆に経験してる分だけ、「思い通りにいかない」という葛藤に悩まされました。日常生活でも白いつえを使って歩く練習など困難な壁にぶつかったがその都度、友人をはじめ周囲の励まし、心配りを受け乗り越えています。 「1620万人が糖尿病といわれる現在、合併病で視力を失う人も多いです。もし自分が失明した時、第2の人生をどう送るか考えておく必要があるのでは」と著者は話します。(主婦と生活社刊より)

                2003.12.06 情報より

『師走と駅伝』
 駅伝競走の魅力は、出場選手全員が一本のタスキをつなぎ、協力してゴールを目指すところにあります。チームワークが、決定的な役割を果たす。 正月恒例の箱根駅伝で、脱水症状に陥った選手が、なんとか完走しようと、朦朧(もうろう)としながら頑張るのも、個人ではなくチームの戦いなるが故でしょう。調で大ブレーキとなった選手が肩を落とす姿を見ると、胸が痛む。 シード校以外の箱根駅伝出場校は、タイムレースの予選会で決まります。1チーム12人の参加選手のうち上位10人の合計タイムを測ります。 10番目の選手の記録が、より重要になります。 僅差(きんさ)で出場権を逃したチームで、「一人一人が一秒縮めていたら勝てた。彼の責任ではない」と、10番目の選手をかばう光景が見られるのも、突出したエースだけでは勝てない駅伝ならではのことです。 箱根駅伝は来年、第八十回を迎えた。初出場は、城西大学一校。 櫛部静二コーチは早大生だった13年前、脱水症状で首位から14位に落ちた経験をしました。捲土(けんど)重来の思いもあるでしょう。フラフラになりながら走り抜いた姿を、ふと思い出した。
 明日から師走。「走」の字が、慌ただしさをかき立てています。年の瀬の慌ただしさを走りきり、1月2、3日の駅伝をすがすがしく迎えたい。大正、昭和、平成と続いてきた駅伝は今、国際化、高速化がテーマです。 良い試合を〜。

                2003.11.30  手帳より

『夢』
 お金のことを俗に、「おあし」と言われます。「亀山殿(京都嵯峨に造営された離宮)の池に…水車を造らせられけり。多くのあしを給(たま)ひて…」。鎌倉期の随筆「徒然草」の記述が最も古いと言われます。
 江戸の昔、逃げる「おあし」の韋駄天(いだてん)ぶりを庶民が身にしみて感じたのは、これから年の瀬にかけてだろう。代金をあとから支払う掛け売り、掛け買いが普通だった当時のこと、決済の期限となる歳末は、金策に追われる季節でもあります。「大みそか首でも取ってくる気なり」と取り立てる側が勇み立てば相手は相手で、「大みそか首でよければやる気なり」と、徹底抗戦も辞さない剛の者がいたらしいです。 大みそかに抽選会が催される「年末ジャンボ宝くじ」の売り出しが始ました(12月25日)。冷たい雨がこやみなく降る東京では、売り場の前に長い傘の列が続きました。 非道なヤミ金融が多くの人を泣かせ、江戸の草双紙の言葉を借りれば、「金が敵の世の中」です。夢という決まり文句で語られる街角の風物詩に一抹の哀感を添えたのは、雨だけではあるまい……。
 宝くじには「はずれる喜び」もあるという。運を金銭で浪費せず、また一年、家族が息災で暮らせると。心の出来た人の言葉に深く感じます。逃げ足だけではなく一生に一度くらい、懐に飛び込む韋駄天に挨拶(あいさつ)するのも悪くないとは思いつつ。

                2003.11.27 手帳より

『障害者の日』
 12月9日は障害者の日(障害者週間2日〜9日)です。週間に合わせて、電車内の広告スペースに障害者のある子供たちの絵画などを展示する「ピクチャー美術館」を12月2日から同16日まで、JR山手線、京浜東北で各1編成運行します。東京都内の盲・ろう・養護学校や、小中学校に併設された心身障害学級の児童・生徒の作品が展示されています。良ければ見に行って下さいね。

 私の方も市障害者団体連合会主催「にこにこフェスティバル(市総合福祉センターで12月7日(日曜日)、10時〜15時30分」をします。講演会などしています。 講師は増岡弘氏 テーマ「一度会ったら一生のおつきあいです」てす。増岡弘氏は「サザエさん」のマスオさん役でお馴染みの人気声優です。他に展示、模擬店、作業所物品販売、AYASKAバンド、ビデオ上映など。皆々様も近くでやると思いますので参加して下さいね。

                2003.11.26 おと

『男性にも増える!?冷え症』
 ◆働き過ぎずリラックスして朝晩、肌寒くなってきた。今ごろから手足や、太もも、腰などが異様に冷える症状が目立っています。「下着を重ね着する」「靴下をはいて寝る」「電気毛布なしに眠れない」……。 このような冷え症。圧倒的に女性に多いが、最近は男性にも増えているそうです。体温は血液の循環で保たれています。寒いと皮膚に近い末しょう血管が縮んで、体熱の放出を防ぐ。それとともに血流量や血圧は一定だから、体の深い所を流れる太い血管が拡張されて体温を維持します。夏場はこの逆だ。このような血管調節をするのが自律神経で、脳の視床下部でコントロールされています。視床下部ではホルモンも調節します。そのバランスが崩れると冷え症を起こすとされ、女性は生理時にホルモンの分泌が大きく入れ変わります。 なぜ、男性にも冷え症が目立つようになったのか?リストラや、長時間勤務など過酷なストレスのためではないかとの指摘があります。自律神経は交感神経と副交感神経の2種類があります。お互い反対に作用。活動時の昼間に強く機能するのが交感神経、寝ている夜間は副交感神経。 いわば「戦う神経」と「休息の神経」であるわけです。仕事のことが頭から離れなかったり、気持ちが高揚したりしていると、寝付けないのは「戦う神経」が「休息の神経」に切り替わらないからだ。 活動と休息が適度で、自律神経の均衡がとれていれば、体調はいい。 だが、早朝出勤から残業までする仕事人間は、「戦う神経」をすり減らし、「休息の神経」の時間が短くなってストレスがたまります。「戦う神経」が支配した時に冷えが生じます。特に50歳以降、体力が衰えてくると、ストレスにも弱くなって自律神経失調症を招きやすい。 有効な冷え症対策は――
▽食事=たんぱく質、ビタミン類、鉄分を多く、体を温める食品に心がけます。「戦う神経」が優勢だと胃腸の働きが悪く、消化液も出にくい。食事はリラックスしたい 。
▽運動=体を動かすことで体の血流がよくなる。乾布摩擦が廃れるのはもったいない 。
▽入浴=シャワーではなく、ぬるめの湯にゆったりつかる。みかん類の皮や、温浴タイプの入浴剤を入れる 。。
これらは女性にもいいのです。

              2003.11.25 情報より

『障害 負ったら…初動が肝心 医療体制は不十分』
 病気や事故で障害を負った場合、最初のリハビリの機会は医療現場から。この段階で適切なリハビリをしないと、寝たきりになるなど人生を台無しにしかねません。だが、その体制は不十分です。 東京都内の老健などを転々とするAさんは、2年前に脳こうそくを発症し、救急病院に入院。3か月後、リハビリを重点的に行う「回復期リハビリテーション病棟」に転院した。だが、倒れてからほとんど動かしていなかった関節は固くなっており、Aさんはリハビリを嫌がった。病院も意欲を引き出せず、半年後に寝たきりに近い状態で退院させられました。家族は、「病院で入院直後からきちんとしたリハビリをやってもらえたら、こうはならなかったのではないか」と嘆く。 救急病院でも、リハビリを行った場合の診療報酬の加算はあるが、条件が厳しい。また、治療が優先されるため、早期リハビリの体制が整っているケースは少ないというれます。

■少ない専門病院 ばらつく質… 治療が終わった人にリハビリを提供する「回復期リハビリテーション病棟」も、全国でまだ2万床程度とされる。それも、「報酬が高いという理由で転換する病院もある」(関係者)ため、質にはばらつきがあるというれます。 理学療法士の資格を持つ金沢善智・弘前大学医学部助教授は、「初期のリハビリは生活機能維持に重要だが、今は適切に行われていない場合が多い。一般病院とリハビリ病院の連携が悪いうえ、自宅に戻る時の指導なども不十分」と話す。 厚生労働省老健局の「高齢者リハビリテーション研究会」は、予防、医療、介護の各段階について効果的なリハビリ実施のための報告書を、年内にまとめます。 リハビリは、高齢者の自立した生活のために欠かせないほか、医療費や介護給付費の抑制にもつながるだけに、必要な時期に適切な方法で受けられるよう、早急に体制を整えるべきです。

[要語事典] 個別リハビリテーション  今年4月から介護保険に導入された新しいリハビリ。老人保健施設の入所・通所や介護療養型医療施設、訪問リハビリで行われます。 手足のまひなど障害を回復させること自体を目標とする従来のリハビリとは違い、対象者が希望する生活ができるよう、残された機能を生かす訓練を行う。例えば、主婦の役割を果たしたい右半身まひの人なら、動かせる左半身で家事をできるようにするなど、「生活機能」の向上を目指す。 対象者ごとの「リハビリ実施計画書」は、理学療法士ら専門職、介護職、担当医が話し合って作る。現状を「訓練時の能力」と「日常の実行状況」に分け、「屋外歩行」「入浴」など生活動作9項目ごとに「自立」から「行わず」まで6段階で評価、それぞれに目標を決める。内容については、本人と家族に説明する。

              2003.11.20 情報より

『イチョウが』
 都心でイチョウが、黄ばみ始めています。神宮外苑では模擬店も出て、「いちょう祭り」が始まりました。二等辺三角形に刈りそろえられた枝が、街路樹らしく端正です。イチョウは雌雄異株で、街路樹には雄株を使う。雌株が落とすギンナンのにおいが嫌われています。だが、国会議事堂の周りには雌株が多い。雌雄の見分けが難しいイチョウを、挿し木でなく種から育てた時代のなごりですね。議事堂の周りを歩いてもギンナンは見つからない。枝を伐採してから種子をつけなくなった。「以前はおばさんたちがポリ袋一杯、ギンナンを拾い集めていたんですが」と、衛視も残念そうです。 元麻布の善福寺で、国の天然記念物の逆さイチョウがあります。幹回り10メートル余り、根がせり上がり、幹はよじれて、土俗的なすごみが漂う。境内に、初代アメリカ公使、ハリスのレリーフがいました。幕末に寺は公使館となり攘夷(じょうい)派の襲撃も受けたと言われます。このイチョウは一部が炭化しています。空襲で焼けかかったが残った幹から蘇生(そせい)しました。樹齢約700年。移り変わる歴史を見続けてきた古木は今年も、黄色みがかった葉を陽光に輝かせていますね。イチョウの姿は一様ではありません。だが、金色の葉がはらはらと舞い落ちる様は、どの木であっても秋の深まりを実感させていますよね。あなたの周りのイチョウの黄葉は、今年どうですか? 昨日は夏(25度ぐらい・散歩に行きましたが暑くて半袖)に戻った日でした、今週は晩秋かなぁ。あぁ、東京国際女子マラソン、高橋選手、暑かったからかなぁ。

              2003.11.17 手帳より

『ユネスコの「世界無形遺産」』
 明治から昭和にかけて、とりわけ女形遣いで近代屈指の名人とうたわれた文楽の人形遣いに、吉田文五郎さんがいました。歌人の岡山巌にその舞台を詠んだ歌があります。 「髪なびけくるひ舞ふ姫の肩かげに傀儡行(でくや)る人の呼吸(いき)のしづけさ」。姫とは、胸に一計を秘めて邪恋に狂ったふりを装う「摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)」の玉手御前であります。 作中人物の「情」と、演じ手の磨かれた「技」が溶け合って、人形浄瑠璃文楽は見る者の胸を打つ。激情に身を任せた姫に傀儡(人形)を操る人の静かな息づかいを配し、歌は鮮やかな対照で情と技とを言い留めています。 人形を使う芸能は万葉の昔からあったが、語り、三味線、人形からなる文楽が舞台芸術として洗練されていくのは、江戸期に入ってのことです。近松門左衛門という不世出の作者を得たことも大きかったでしょう。文楽が世界の宝として認知された。国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の「世界無形遺産」に指定されたもので、日本の古典芸能では能楽に続く栄誉となりました。「この世の名残。夜も名残。死にに行く身を譬(たと)ふれば。あだしが原の道の霜。ひと足づつに消えてゆく。夢の夢こそあはれなれ」(曽根崎心中)。普段は劇場に足を運ぶ機会のない人も、一夜、近松の世話物を開き、名調子のなかに伝統の息づかいを聴いてみてはいかがでしょうか !!

              2003.11.14 手帳より

『特別講演』
 来年、誕生日が来ると、牧伸二は70歳だよ。そうは見えないでしょう。自慢じゅないけど、俺は虫歯が一本もないんです。全部入れ歯なんです。(笑)68歳まで病気らしい病気したことない。油断していたんですね。去年の5月の26日。仕事から帰って、あしたの稽古をようとウクレレを持って「√あ〜あ〜」と始めたら、頭の中に温かいもんがスーッと流れた。 後でわかったんですが右の方の脳の線が一本プツンと切れて、血液が頭の中にファーッと散らばったんですね。すぐに左手足がしびれて全然動かない。左足一本でも、立っていられないんです。救急車で運ばれて即入院。その時は血圧200ぐらいあったんだって。俺の医師嫌いの病院嫌いだから、血圧なんて測ったことない。200が高いのか低いのか、それも知らなったんですねぇ。脳の線が一本切れた割には退院が早かったんです。一ヶ月半で退院して、翌日から仕事を始めていたんです。ファンの激励と、68歳でくたばってたまるか、この気持ちがよかったんですってよ。医師というのは薬をあげるメスを入れる、それを縫う、これでおしまい。 病院にお見舞いに行く時でも、何か持っていくよりも「この間、牧伸二が言ってたぞ。患者が自分で治そうという気がない患者は治らねえんだってよ、頑張れよ」。 これ一言、言ってあげてちょうだし。退院が早くなれば入院費も安く上げるわけですから、覚えておいて下さい。一ヶ月半の入院ですが、横になっていて気がついたことがある。人間というのは「普段の健康に感謝してねえな」といこと。普通に歩ける、普通につかめる、普通に聞ける、普通にしゃべる、普通に感じる。この普通の健康に俺は感謝してなかったなぁ。 皆さんも「健康が当たり前」と思わないで、普段の健康に感謝して、毎日血圧は測りましょうね。とにかく自分の健康に感謝しながら毎日を過ごして下さい。これが一言、言いたかったの。体を大切に、人生は楽しく過ごしましょう。どうもありがとう。

              2003.11.11牧伸二さんより

『素敵な障害者になって』
 脳性マヒの障害を持って生まれた13歳の少女の成長を迫った写真集「娘の名前『ららら』」が出版されました。地域の小学校に入学、運動会に、水泳にと頑張る姿が生き生きととらえています。ミュージカル劇団「ふるさときゃらばん」の作曲家、寺本建雄さんと同劇団の女優だった祖父江真奈さんとの間に生まれた寺本らららさんはさんは、1554・ の未熟児で、生後十ヶ月のとき下肢マヒの障害がわかっりました。
 母親の真奈さんは、「散々泣いて、民間療法なども試した末に歩けるようになることも大事だけれど、得意なことを見つけて、素敵な障害者なって欲しいと思うようになりました」と話します。 地域の東京都小平市の小学校に入学したらららさんは、明るく活発な少女に成長しました。放送委員や学級委員にも挑戦し、運動会では担任の先生に「無理しなくていいぞ」と言われても、リレーや100・走に出場しました。特製の靴とつえで、一生懸命走りました。 こうした姿を、家族ぐるみのつきあいがある報道写真家の英伸三さんが記録し続け、一冊の写真集になりました。らららさんの作文や、東京都の賞を受賞した真奈さんの「子育て体験記」、周囲で一家を支えてきた人たちのエッセーなども収めています。 らららさんは今、中学2年生。写真集については、「恥ずかしくってむずむずする!」と照れています。真奈さんは「らららの写真を見て、元気を出してくれる人がいたら嬉しい」と話しています。高文研刊より。 良ければ写真集を買って下さいね。おと

              2003.11.06 情報より

『福祉車両の販売台数 10年で10倍に!』
 自動車メーカー各社が、障害者や高齢者の運転を助けたり、乗車しやすくしたりした福祉車両の開発や販売に力を入れています。福祉車両は、在宅介護の移動手段として利用が高まっており、販売台数は2002年度に3万7796台と、ここ10年間で約10倍に急増しています。
 福祉車両には、手や足が不自由な人も運転できる特別装置をつけた車や、福祉施設向け大型車など様々な種類があります。最近では、座席が回転して乗り降りをしやすくした個人向けのミニバンやワゴンなどの開発が進み、販売台数の増加に拍車がかかっています。
 トヨタ自動車と日産自動車はスポーツカー以外には福祉機能があるタイプを用意する方針でトヨタは51車種、日産は23車種とほぼすべての乗用車をカバー。ホンダも11車種、三菱自動車工業は8車種に用意しています。 買いたいと思うけど〜〜〜おと

              2003.10.29 情報より

『黄金色の穂は』
 前田普羅に、「しみじみと日を吸う柿の静(しずか)かな」という句があります。高浜虚子が、「擬人法の句はほかにもあるが、作者が柿になるほど深く立ち入ったのは珍しい」と激賞したことでも知られます。 山形県米沢市で、線路ばたの庭先に柿の木が実をつけているのを見ました。車窓を流れる一瞬のことで、「しみじみ」のいとまはなかったが、秋の日を吸った色が目に残りました。 サクランボの赤い実を摘み去る泥棒が山形県内を騒がせたのは初夏のころです。東北地方のコメどころでは冷夏と日照不足で、黄金色の穂波にはほど遠い実りの秋になった。思えば無情にも、「季節の色」を奪われつづけたのが、今年の農家であったろう。 「柿色の日本の日暮柿食へば」(加藤楸邨)。一瞬の風景がひときわ目にしみたのは、日本の懐かしい季節の色がそこにあったせいかも知れない。 翌年の豊作を祈り、木に一つだけお守りとして摘み残しておく果実を「木守(きまもり)」といいます。作物への情愛がそのまま言葉に結晶したような、穏やかで美しく、どこか哀(かな)しい響きがあります。 収穫の秋がゆき、木守の季節も遠くない。迎える冬は地方を問わず、作物を問わず、一つだけ残した実にこめる祈りには切実なものがあろう。「秋風に傷なきものはなかりけり」(橘高薫風)という句を思い出す。今年はおかしいですね。
              2003.10.23 手帳より

『長包生120周年 』
 沖縄で戦前、活躍した作曲家に宮良長包(みやら・ちょうほう)がいました。「安里屋(あさどや)ユンタ」「なんた浜」「えんどうの花」など、聞けば多くの人が、「ああ、あの歌」と思い出す名曲を、数多く送り出していました。 民謡の宝庫とされる石垣島の出身です。小学校や師範学校の教師をしながら、身に染みついた民謡と習い覚えた洋楽を組み合わせ、独特の「長包メロディー」を生んだ。 曲には、哀愁とほのかな明るさが、ともに漂った。「波の花咲き 船足軽く片帆ちらちら月影のせて」と続く「なんた浜」の作詞者は当時、中学生だった。「えんどうの花の咲く頃(ころ)は 幼い時を 思い出す」の「えんどうの花」は、教員養成所の学生の作詞による。 長包を中心とする文化サークルが、活発な芸術活動を繰り広げていたことをうかがわせます。 沖縄文化が否定されていた時代への抵抗でもあったのだろう。民謡と洋楽の出合いは「チャンプルー文化」と呼ばれました。沖縄の複合文化の表れでもあります。 今年は長包生誕120周年に当たります。様々な記念の催しが、実施されています。21日には東京で長包のひ孫のソプラノ歌手、宮良多鶴子さんによる、長包歌曲のリサイタルが、開かれます。 愛唱歌には心の原風景が潜んでいるのでは? 自分が口ずさむ歌は、どんな思い出と結びついているのでしょう。 秋の日にそんなことも考えたら〜〜。
              2003.10.20 手帳より

第30回「国際福祉機器展」
 年に一度、世界の最新福祉機器が総合展示される「国際福祉機器展(H.C.R2003)」が今年も東京ビックサイト(東京都江戸区有明)ではじまります(15日・水〜17日・金)。 世界14か国630社が出展、会場には25、000点を超える福祉機器が並びます。 この機会に、自立生活や介護に約立つ様々な福祉機器の使い心地を試して見たいですね。
「福祉機器展」は、高齢者や障害者の自立生活や介護に福祉機器が約立つ、展示・紹介される大展示会です。 今年は15日〜17日の午前10時〜午後5時まで。 入場無料です。 6つのホールに、車・住宅から生活用品まで、日常生活や介護をサポートする多種多様な福祉機器約25,000点が並んでいます。 会場は野球場6面分という広さなので、目的の機器を探しやすくするため、去年同様ゾーン展示を採用しています。
・移動機器(車イス)/情報(出版物)
・ベット/移動機器(リフト)
・福祉車両
・建築・住宅・施設用設備
・トイレ用品、おむつ用品/日常生活用品
・入浴用品/コミュニケーション機器/在宅・設備サービス、経営情報システム
が展示しています。
「利用者の声を聞いてより良い福祉機器に」
「国際福祉機器展」が「社会福祉設備の近代化機器展」の名前でスタートしたのは1974年(昭和49年)のこと。 第13回からは国際展示会となり、その規模を拡大。 障害者の意識の変化、高齢社会への移行が進むにつれて出展社数も福祉機器の点数も増えています。
介護保険制度の実施や、交通バリアフリー法の施行など行政の取り組み本格化するなかで、福祉機器展展の関心も年々高まり、最近では福祉サービス従業者や企業関係者だけでなく、障害者、高齢者、介護を支える家族など、一般の入場者数も増えています。
本当に毎年、行きたいと思うのに〜〜行けない おと〜〜
              2003.10.14 情報より

『体育の日』
 「私はこの時、生れてはじめて心の平和を体験したと言ってもよい」。 太宰治の名作「津軽」の一節です。 青森県小泊村の国民学校で、運動会を見ていたときの気持ちを、記した。
太宰は、自分の子守だった、たけと、約30年ぶりの再会果たしました。 足を投げ出して競技を眺め、「甘い放心の憩い」に〜〜。 身体能力を競い、地域のお祭りでもある運動会が、二人の再会の舞台効果を上げたのでしょうね。
国民学校の後身である小泊小学校の運動会では毎年、二人の再会にちなむ競技があります。 今年は「たけさん!呼んだかいオサム!」との事です。 子供たちは競走してカードを拾い、名前の書かれた人を捜して一緒にゴールしました。
「応援は熱狂的ですよ。長距離走で、子供に伴走する保護者もいました」と校長は運動会の興奮を語った。 親と子が弁当を囲み、露店も出た。 大漁旗が小泊小の運動会を彩ったのは遠い昔のことではないか?
春の運動会も楽しいが、秋空の下で繰り広げられる競技、競走も捨て難いその催しが縮小傾向に〜〜。 学校五日制が導入された影響だ。 運動が苦手な子に配慮し、競走よりゲームを重視する学校も少なくないですね。
スポーツには競い合う面白さもあることを忘れないようにして下さい。 太宰が「明るい不思議な大宴会」と呼んだ運動会を楽しもう。 13日は体育の日。
   2003.10.13 手帳より

『エレ・ショー』
 社団法人電子情報技術産業協会、情報通信ネット産業協会、社団法人日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会の3団体は、関連官庁・団体の後援・協賛・協力の下、10月7日(火)〜11日(土)の5日間、幕張メッセにて、『CEATEC JAPAN 2003』を開催します。
 CEATEC JAPANは、エレクトロニクス関連分野と情報通信関連分野をそれぞれ代表した展示会「エレクトロニクスショー」と「COM JAPAN」を総合し、「IT分野における情報発信の場」として、2000年より開催しています。
 4回目となる今年のテーマは、「ユビキタス・コミュニティー、次へ始発!」です。 デジタルネットワークの成長に伴い、自由なコミュニケーションが広がる「ユビキタス社会」の進展を表しています。
 2003年は、地上デジタル放送開始の年であり、政府が推進する「e-Japan 戦略II」でも、政策を次の段階に進め、ITの利活用の促進が示され、産業、市場の創出に期待がかかっています。
 今回も、各出展者が最新の研究開発の成果を展示し、コンファレンスもさらに充実しました。
 また、未来を担う次の世代の応援し、産学官の提携を促進する新しい試みを実施します。
◆ デジタルネットワークステージ
ハイクオリティなどを音声や映像、動画が自由に行き交うデジタルネットワーク。 ワイヤレスに情報とアクセスできる豊かなライフスタイルとビジネススタイルを彩る製品やサービスが集合しています。
◆ 電子部品・デバイス&装置ステージ
ブロードバンドの普及、デジタルネットワークの広がり生み出す、新しい需要と市場の原動力。 最新端の技術と半導体、電子ディスプレイ・デバイス、カーエレクトロニクス、ナノテクノロジーなどが集合します。
              2003.10.09 おとより

『低血圧で立ちくらみ』
立ち上がる時にふらっとし、「起立性低血圧」と診断されました。 治らないと言われましたが、日常生活の注意は。
◆きつめのストッキングや腹帯を
収縮期の血圧(最大血圧)が100mmHgより低い場合が低血圧です。 また、立ち上がった時、体を寝かせていた時に比べて20mmHg以上血圧が低くなる場合を「起立性低血圧」と呼びます。
低血圧には、原因がはっきりしない「本態性低血圧」と、他の病気によっておこる低血圧があります。 したがって、低血圧と診断された時は、ホルモンや心臓、神経の病気などがないかをチェックし、何か原因となる病気があれば、その治療をすれば改善する可能性があります。
本態性低血圧症の場合、完全に治らない場合もありますが、日常生活に支障がない方がほとんどです。 ただ、ご質問の方のように、起立時にふらつきやめまいなどを感じることがあり、俗にいう「脳貧血」や、ひどい時には失神をおこすこともあります。
まず、寝ている状態から立ち上がる時には、急に立たないで、ゆっくり時間をかけて起き上がるようにします。また、生活面では睡眠を十分にとり、便秘をしないよう、食生活にも注意して下さい。
日中は、ややきつめのストッキングや、腹帯(腹巻き)などをするのもよいでしょう。
足や腹部に血液がたまらず、心臓への血液の戻りがよくなり、血圧もあまり下がらなくなります。
このような注意をしても立ちくらみなどの症状がおさまらない場合には、血管を収縮させて血圧をあげる薬や、ホルモン剤が必要なこともあります。 いずれにせよ、規則正しい生活を心がけましょう。 お薬については、専門医によくご相談ください。
               2003.10.03 情報より

 万国博覧会の歴史は1851年(嘉永4年)のロンドン大博覧会に始まりました。 会場になったガラス張りの殿堂「水晶宮」には、600万人を超す見物客が訪れ、成功裏に幕を閉じています。
会場の造営にあたり、自然保護をめぐってちょっとした騒動があったらしい。 明治の末年にその地を訪問した長谷川如是閑(にょぜかん)が、紀行文「倫敦(ロンドン)!倫敦?」に書き留めています。
邪魔な巨木を切ろうとしたら、林務の役人が頑として認めない。設計者は仕方なく樹木を堂内に取り込む造りにしたが、その木をねぐらにするおびただしい数のスズメが会場内を乱舞し、関係者は対応に追われたといいます。
「自然の叡智(えいち)」をうたって2005年3月に開幕する愛知万博まで、1年半となりました。 ロンドンの博覧会では1つのこぼれ話だった「自然と人間の共存」を、主題に掲げねばならない時代です。 150年の間に、人類が繁栄と引き換えに失ったものを教えているだろう。
呼び物の事業として、1万年前に絶滅したマンモスをシベリアの永久凍土からそのままの形で掘り出し、展示する計画が進んでいます。
33年前の大阪万博で人々は、月の石に人類の進歩を重ね見た。 天上を仰いだ視線を、自らの立つ足もとの地球に戻して開かれる万博である。 栄華の果てに滅び去った巨大獣は何を語るだろう。 愛知万国博覧会を見に行きたいですね。
              2003.10.02 手帳より

 『十勝沖地震』
北海道静内町のアイヌ民俗資料館で、ひと組の臼と杵(きね)があります。 アワやヒエを脱穀する用途のほかに臼は「嵐」を、杵は「地震」をそれぞれ鎮める儀式に用いられたと言われます。
“魚博士”の末広恭雄さんによればアイヌの人々はその昔、ナマズのことを「モシリ・イクテウェ・チェップ」(背中で大地を支える魚)と呼んでいたらしい。 魚が背中を揺すらぬよう、霊力をもつとされる杵に祈りをこめたのでしょうね。
25日の未明から早朝にかけて、静内町や浦河町など北海道の釧路、十勝、日高地方を強い地震が襲ってきました。 負傷者は450人を超え、津波を警戒して4万人余りが避難しています。
原油タンクが炎上し、列車が脱線した。 惨事に至らなかったのは不幸中の幸いだが、より地盤の弱い場所を、あるいは都市部を同様の揺れが襲った場合を想像し、背筋を凍らせた人ガ多いでしょう。
用心し、備えて、あとは祈る以外に、科学の時代を生きる現代人にも、大地震への対処法はない。 被害をつぶさに検証し、「用心し、備えて」の部分が少しでも手厚くなるよう、教訓を生かして欲しいですね。
被災地のなかには、八月の台風がもたらした災害の復旧もまだ済んでいない地域があります。 例年なら実りの秋を連想させる臼と杵に、「嵐」と「地震」の二語を重ねねばならない。 つらい秋ですね。 でも、少しでも努力し、頑張って下さいね。
              2003.09.29 手帳より

『秋分の日』
肌寒ささえ感じるようにこの頃ですね。 冷夏の埋め合わせをするかのように例年になく厳しい残暑が続いていたが、一気に秋の訪れました。
秋のことを中国の五行説で、白秋という。 春の青、夏の赤、冬の黒に対し秋に白を配した。 秋の風を白く感じさせるのは、空の高さですね。 空気が乾燥して視界が開け、空が高く見えます。
夏から秋への移り変わりに「畜生!夏は終った」と記したのは、檀一雄氏です。 20年かけて書きあげた小説「火宅の人」の最終章で「最後の無頼派作家」と言われた人生を振り返り、そう結んだ。
コスモスの便りが各地から届きます。 白い画用紙にピンクや赤の絵の具をちらしたような光景が、目に浮かびます。 濃密に重なり合う春の花に比べ、どこか背景の白さを感じさせるのが、秋の花の特徴です。 その余白が、もの悲しさを醸し出しもあります。
檀が晩年を過ごしたのは、博多湾に浮かぶ能古島です。 島を埋める五十万本のコスモスで知られています。 開花も間もなくだ。 檀は「なーんだ!オレ、ヒトリボッチ」と、自分の孤独な状況を慈しんでもいた。 その作家に似つかわしい爽快な眺めが島です。
「火宅」は火事にあった家のこと。 人の悩みや不安を例えた。 多くの人が火宅を持つ時代だが、ここはひとつ、身も心も秋風にさらし季節のさわやかさを感じてみたいですね。 23日は秋分の日です。 良い秋を〜〜〜。
              2003.09.23 手帳より

『脳卒中 起こりやすい時間帯』
◆血圧は朝上がる
高血圧症は最も多い病気だろう。推定患者数は全国で3300万人。30歳以上の男性の半数、女性の4割が高血圧といわれます。 あまり自覚症状が表れないため、本人の危機感が薄い病気でもあります。
しかし、血圧の管理は健康に跳ね返る重要項目だ。
厚生労働省の「健康日本21」は、国民の平均血圧が2mmHg下がれば、脳卒中死が1万人減少するなど循環器疾患全体で2万人の死亡が防げると試算しています。
いわば血圧は健康維持の要だが、いつも一定ではない。 睡眠や飲食、運動、入浴などで大きく揺れるし、時間帯でも絶えず変動しています。
ならば1日のうち、血圧が最も高くなるのは何時か?
起床1、2時間後が正解。
睡眠時は1番低値にあります。 ところが、目が覚めて交感神経が急激に活発になると、心臓の働きが高まり、短時間に20mmHgほど上がます。
朝6時に起床すれば午前7、8時ごろがピーク。この「早朝高血圧」が、脳出血や心筋梗塞(こうそく)の引き金になります(おとみたい)。
アメリカの研究でも8〜12時が脳卒中の最多時間帯。 これは12〜16時や16〜20時の2倍、20〜24時の7倍も発症しやすい。
自治医大と関連33病院が3か月以上降圧薬を服用する784人(平均67歳)を外来測定したところ、適正値にある患者は45%に過ぎなかった。 さらに早朝血圧も良好だった人は、その中の52%だけ。
元々、高血圧症の半分しか治療を受けていない。きっちり血圧管理されていない実態を自治医大循環器内科教授の島田和幸さんは「半分の半分の半分の法則」と警告。 次の点を踏まえて、日ごろ家庭用血圧計で、正しい血圧値を把握することを勧めます。
 ▽適温の部屋で、正確な上腕用血圧計で測る
 ▽起床時、朝食前、就寝時など決まった時間に測る
 ▽座った姿勢で、カフ(空気袋)を心臓の高さにする
 ▽測定前10分間は安静にし、測定中は会話しない
 ▽飲食、喫煙、入浴後の2時間以内は測らない
          ◇
数値は数日〜数週間の平均で見る方がいい。 測定するたびに「高い」「低い」と“血圧”を上げることはない。
              2003.09.22 情報より

※彼岸※※ 先祖祈る傍らに咲く曼珠沙華
今日は20日は彼岸の入りですね。 めっきり秋めいて……というのが気候のあいさつが、今年はなかなか聞かれませんですね。 冷夏と長雨に負けていた太平洋高気圧が9月ににって元気をだし、敬老の日の15日は阪神タイガーズの優勝フィーバーも重なって東京の最高気温は32.5度に上昇。 海南海岸には季節外れの海水浴客が繰り出した。
だが、秋の日はつるべ落とし。 日の入りは夏より1時間以上早まり、関東だと午後55時半ごろには暗くなります。 心地よい秋風が吹く日も遠くない?
暦で彼岸とは、昼と夜の長さが同じになる春分の日と秋分の日をそれぞれ中心とする一週間をさします。 初日は彼岸の入り、最終日は彼岸の明けといいます。 
彼岸という概念は、梵語の波羅密多や漢訳した到彼岸に由来します。 仏教の教えでは、煩悩に満ちた現世に対し、迷いのないあの世があり、阿弥陀如来が死んだ人を彼岸に導く。 人々は先祖を供養し、迷っている霊も早くたどり着けるよう祈ります。 大同元年(206年)、天皇が怨霊を鎮めようと開いたのが最初の彼岸会といわれています。 語源は「日願」から来ているとの説もあります。 太陽信仰では、太陽が真東から上がり真西に沈む日は象徴的です。 阿弥陀の極楽浄土は西にあり、その夕日が道しるべになると考えます。
彼岸の定番お菓子は、ボタモチやオハギ。 前者は牡丹の季節である春、後者は萩の季節の秋に、花に似せて作れたといわれます。 アンコの衣の中身が、飯粒がオハギ、餅がボタモチというれるが、今では明確な区別はありません。 このころ、人里近くで咲くのが彼岸花です。 別名、曼珠沙華。 法華経に出てくる天上の四花の一つで、梵語で赤い花を意味します。 
作物を育てる太陽、自分たちを守る先祖という土着の信仰があり、やがて仏教と合わさったのです。 江戸時代に墓参りや供え物をし自分たちも食べる習慣が定着しました。 暑さも彼岸まで、というように、最も気持ち良い時節という感覚は「いとよきひ」とする源氏物語の時代から変わりませんでした。 他の仏教国には見られない日本独特の風習です。
              2003.09.20   彼岸から 

『動脈硬化との関連は』?
冠動脈の石灰化の程度を調べる電子ビームCT検査(滋賀医大病院で)
 コレステロールが高いと心臓病や脳卒中になりやすいので、下げましょう――医師からこう言われ、数値を気に病む人は多い。
 戦後に急上昇
 日本人の平均的なコレステロール値は、食生活が豊かになった戦後、上昇し、200前後になった。 これは、心筋梗塞(こうそく)死亡率が日本人の4、5倍多い米国人とほぼ同じレベル。 若い世代では日本人の方が高いくらいだ。 このままでは、心筋梗塞が米国並みに増えると懸念する専門家もいます。
心筋梗塞は、心臓に栄養を送る冠動脈が狭くなる動脈硬化がもとになって起きる。そこで、滋賀医大教授の上島弘嗣さん(福祉保健学)らは、日米の男性の動脈硬化の進み具合を調べた。 電子ビームCTという画像診断装置で、冠動脈にカルシウムが沈着する「石灰化」の程度を調べる方法です。
対象は、日米の40歳代の男性それぞれ約100人。 コレステロール値は、日本側が206で、米国側の193より高かった。
心筋梗塞の要因となる血圧、喫煙率も日本側の方が高く、動脈硬化を進める条件がそろっていました。
 「善玉」多い日本人
しかし、結果は意外だった。 冠動脈の石灰化が一定程度起きている割合は、米側の26%に対し、日本側は4・5%で、5倍以上の差があった。 コレステロールが高くても、動脈硬化はそれほど進んでいなかった。
上島さんは「高コレステロールが心筋梗塞の要因であることは確かだが、当面、日本人に心筋梗塞が米国並みに増えることはないだろう」と予測する。全身の余分なコレステロールを肝臓に戻す働きがあり、「善玉」とも呼ばれるHDLコレステロール値も日本側の方が高く、肥満度は低いことが、こうした結果につながった可能性が高い。
魚や穀類を多くとる食習慣も幸いしている。 魚の脂は血液を固まりにくくして心筋梗塞を防ぎ、穀類が多いと脂肪摂取量が抑えられるからだ。
東邦大元教授の長谷川元治さん(内科)は、心臓が血液を送り出す際の振動が、血管を伝わる速度を測る「PWV」という装置で、健康診断の受診者ら約200万人を調べた。
動脈硬化が進むほど、この速度が増すことを利用した検査。 その結果、コレステロール値と動脈硬化の程度には関連がなかった。
「高コレステロールは治療が必要」とされるのは、コレステロール低下療法で心筋梗塞が3割減った、といった欧米の報告があるためだ。 だが、同じ数値でも日米で動脈硬化への影響が異なるように、海外データを日本人に当てはめて治療することを巡り、議論が起きています。[コレステロール] 脂質の一つで、細胞膜やホルモンの材料として重要。 過剰だと心筋梗塞が増えるとされ、日本動脈硬化学会は血液1デシ・リットルあたり220ミリ・グラム以上を高コレステロール血症としている。 厚生労働省調査では男性は平均200、女性205。
              2003.09.18 情報より

ふれあいフェスティバル2003
15日(月)、市ふれあいフェスティバルに行きました。 歩いて行きましたので暑い、暑いでしたよ〜。 いつも行く公園で休んで、水分を持っていましたから飲みました。 少し、休憩しました。 公園を出て、福祉センターに着きました。 身体障害者協議会の人(実取さんたち)がまだ、数名でした。 センターで、風呂場や車イス、装具などがありました。 自助具工房の人とお話しました。 いつもの手ぬぐいで〜〜、良い方法がないでした。 3Fに行く途中、ボランティアの人や福祉センターの人にお会いしました。 絵や写真、筆などがありました。 センターを出て、市役所に行きました。 アイスコーヒー(模擬店)を飲んで、少し休憩しました。 模擬店を見ていたら、金子さんたちにお会いしました。 身体障害者協議会の模擬店に戻って来たら会長、副会長、山口、加藤、沼田、小島、長瀬、望月、小川、管野、西さんたちにお会いしました。
 1時過ぎ、ビンゴゲームのためハーモニーホールに行きました。 一様、洗剤を取りましたよ〜〜。 皆さんと別れて、福祉バスに乗って帰りました。
              2003.09.15 おと

『百歳・百話』
敬老の日が近付くと、長寿が話題になりますね。 現在の世界一は、男性で、114歳、女性は115歳です。 いずれも九州在住の日本人です。
「長寿の秘密」はだれもが知りたいでしょうね。 それを探ろうという科学者は世界中にいて、長生きのの人やその家族に協力してもらい、普通の人と遺伝子がどう違うのかなどを比べています。 米国のベンチャー企業は「四番染色体に長寿遺伝子を見つけた」と報告しており、ほかにはどんな長生き遺伝子があるのか、水面下の国際競争も激しそうだ。
日本でも慶応大学と東京都老人総合研究所の共同チームが、百歳以上の人の遺伝子を分析しています。
病歴や性格など、調査内容は遺伝子以外に多岐にわたった。 ひと通り聞き終えたところで、人生の達人たちから、百年を越える“物語”を聞くのが、研究チームの楽しみなのだといいます。
関東大震災、第二次世界大戦の体験談や大恋愛………いずれも興味深く、自分たちだけにとどめておくのは惜しいストーリーばかり。 自然に「出版しよう」ということなったとのことです。 昭和天皇のご学友、おもちゃ職人、エンジニア、大学教授―――――語ってくれたお年寄りも多彩でした。 心を温まる「百歳・百話」を〜〜〜。
              2003.09.11  良い本 

『長期の服薬 肝障害注意』
「薬剤性肝障害予防のために」
●生活習慣病(糖尿病、高血圧、高尿酸血症など)は、まず食事や運動など生活習慣の改善から始めること
●薬の効果と副作用をはかり、効果が上回る時に服用する。一方、急な服用中止で症状が悪くなることもあるので、やめるときには医師に相談すること
●服用が長期にわたる場合は、定期的な血液検査を受けること
●だるい、食欲がない、尿の色が濃い、皮膚や白目が黄色い、かゆみや湿しんが出るなどの症状が出たら医師に相談すること
●複数の診療科を受診する時には、服用中の薬を医師に知らせること。同系統の薬が重なって、また飲み合わせによって副作用が強まる可能性がある
*漢方薬や民間療法にも副作用があるので、上記の注意は変わらない
「最近、重い肝障害が報告された薬剤(商品名)」
☆痛風治療薬「ベンズブロマロン」(ユリノームなど)
☆糖尿病薬「アカルボース」(グルコバイ)
☆抗生物質「クラリスロマイシン」(クラリスなど)
☆消炎鎮痛剤「ロキソプロフェン」(ロキソニンなど)、「モフェゾラク」(ジソペイン)
☆B型肝炎治療薬「プロパゲルマニウム」(セロシオン)
☆気管支ぜんそく治療薬「セラトロダスト」(ブロニカ)
☆高血圧剤「塩酸トドララジン」(アピラコールなど)
☆抗血小板薬「塩酸チクロピジン」(パナルジンなど)
☆前立腺がん治療薬「フルタミド」(オダイン)
☆抗がん剤「テガフール・ウラシル」(ユーエフティ)
              2003.09.05 情報より

【街道を旅して・小田原〜箱根】
☆山越えを控える旅人を出迎えた小田原宿
―箱根八里は馬でも越すが……とうたわれる箱根八里とは、小田原宿から三島宿間の32・を指す。 幕府は江戸防衛の目的から、箱根越えのルートを谷沿いに開いた峠道です。 急坂が続き、東海道最大の難所として旅人を悩みました。
この箱根の山越えを控えた人々が宿泊したのが小田原宿です。 日本橋から出て9番目、初めての城下町でもあります。 参勤交代の諸大名や家臣が宿泊したのが小田原宿した本陣や脇本陣が各四軒、庶民が泊まる旅籠屋も江戸後期には百軒を越える指折りの宿場町でした。
 JR小田原駅から南へ下り、旧街道と国道1号線が変わる辺りがかつての宿場のあった場所です。
 当時の面影が消える中で、{小田原宿なりわい交流館}には、本陣跡など町割りの地図が展示されています。 地元古老からも聞き取って作ったとの事です。 
 周辺には店舗の一角を展示場にした「街かど博物館」が点在しています。 特産品の歴史を紹介しながら伝統の道具類などを展示しており、「かまばこ伝統館」や「かつおぶし博物館」など、ぶらりと立ち寄るのも楽しいです。 海産物などを扱う商店が立ち並び、活気をみせていた当時の姿が思い起こされています。
○先人の苦労をしのぶ箱根越えと関所跡
小田原から街道を西へ。 箱根町の湯本に着くと、当時は橋だったという三枚橋が早川に架かっています。 橋を渡らず真っすぐ進めば箱根の湯治場をつなぐ通称「七湯道」へ通じるが、東海道は橋を渡り、やがて厳しい山越えの道へと行っていきます。  
 須雲川沿いに標高差約700・の峠を越える旧道は、雨が降るとひざまで泥につかることが多かったため、幕府は開通60年たった延宝8年(1680年)、全道に石を敷き詰めました。
 この箱根の石畳は今も3.3・(倒れる前、行きましたよ)の区間で残っています。 木々が生い茂る緑のトンネルの中を、所々こけむした石畳が続く様は美しいです。 ただ、風景に気を取られていると、足を滑らせそうになるほどの急な坂が多いのです。
 本当に馬で箱根を越えたのだろうか――。 道中には、女性の旅人がここで落馬して死んだことから名付けられた「女転ばし坂」があります。 馬のほか山かごも交通の手段として用いられたが、かなり困難な山越えだったのは間違いなさそうだ。
 苦労が多い分、下りの権現坂が、開け、芦ノ湖とその向こうに富士が見えた時の爽快さは特別ですね。 芦ノ湖に沿って箱根関所跡まで続く美しい杉並が疲れを癒してくれますね。
松並木が続く東海道の街道沿いにあって、箱根八里の一部だけは松並木だという。 上りの途中、畑宿の集落の辺りから松と杉が混在し、やがて杉だけになにます。 杉の大木の樹齢が約350年と言うから、400年前のルート開通後に杉に植え替えられたというのが定説です。 「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まった箱根関所跡では、2007年の完成を目指して復元工事が行われています。 そばには関所資料館があります。 関所破りは死罪だったが、実際に死罪になったのはわずかだというれます。 
明治に入ると、箱根は温泉観光地として脚光を浴びました。 七湯道に沿った山越えのルートが開かれると険しい東海道は忘れられた道となりました。 江戸幕府の権力を象徴した関所や宿も同じ運命をたどりました。 今は〜〜。
              2003.09.03 小田原と箱根は

「福祉自治体ユニット」が改革を提言
福祉を推進する自治体の首長で作る「福祉自治体ユニット」(169市町村加盟)は、介護保険制度の改革に向けた提言を発表した。被保険者の年齢制限を撤廃し、障害者施策と統合することなどが柱。
介護保険を高齢者に限らない普遍的な制度にすることや、保険者である市町村の権限強化を求めている。
介護保険 年齢制限を撤廃
 提言では、「そもそも年齢による介護サービスの給付を区分する合理的な理由は見あたらない」と指摘。現在、40歳以上となっている被保険者の範囲(給付は原則65歳以上)を、若年者も含めて介護が必要なすべての人に広げるべきだ――とした。
障害者施策との統合については、「一朝一夕には難しいが、障害者の介護ニーズに対応した制度とするために、順次、障害者サービスを介護保険給付に移行していくべきだ」と主張。まず財政の一元化を行い、次にサービス供給の一元化を実施する。具体的には、遅れが目立つ障害者向けサービスの基盤整備を促進するために、高齢者向けサービスを展開する事業者の積極参入を促す政策誘導の必要性を訴えた。また、介護保険財源の1部を障害者向けサービスの基盤整備に投入できる仕組みの導入も提言した。
保険給付の一元化については、要介護高齢者と若い障害者のニーズが異なり、手厚い介護が必要な全身性障害者への給付をどうするか、授産施設への通所給付をどうするかなどの問題があることから、「十分な検討が必要」としている。
このほか、〈1〉現在は都道府県にあるサービス事業者への調査権限や指定取り消し権限を市町村に移管する〈2〉市町村が施設利用者数をコントロールできるようにする――など、保険者機能の強化も訴えた。
2000年4月に始まった介護保険制度は、施行後5年をめどに制度全般を見直すことが、介護保険法で定められている。今回の見直しでは、保険料徴収対象の拡大と障害者施策との統合が、課題になっている。
              2003.08.30 介護保険被保険から

『ハンセン病患者』
「まる三年たつて家へ行つてきました。 汽車にのつて居て はやくしやかいへつかないかなと思ひました」。 尋常小四年生、K子さんの作文はそう始まる。 「しやかい」は社会です。
強制隔離、家族との別れ…。 ハンセン病患者、元患者の魂の叫びを伝える「ハンセン病文学全集」(全十巻、皓星社)の刊行が始まって、一年になりました。 このほど、第十巻「児童作品」が出ました。
別の児童の作文にも「私が社会に帰つてゐた時」とあります。 社会とは療養施設の外の世界を指している。 社会の一員とはみなされていない――悲痛な病相ゆえに差別と偏見のなかを生きねばならなかった人々の哀(かな)しみを、その一語が語っています。
巻末に、作文や詩の作者である児童・生徒の紹介記事が載っています。 愛知県出身のある女性は小学六年生の時に体の変調を訴え、病院でハンセン病と診断されました。
帰りのホームで電車を待つ母が言った。 「飛び込もうか」。 ただ恐ろしく、母の手を握っていたという。 社会の目が凶器であった時代は遠い過去ではない。
六年生、T子さんの詩「友だち」――。 「てすりにもたれてゐる友 目かくししやうと思つて そつと後にまはつたら 手紙をもつて泣いてゐた」…。 郷里にいる家族からの便りであろう。 互いに「社会」の外に身を置いて、いたわり合う心が胸を打つ。
ほかにもいろんな障害者が声を言いたいのでは〜〜
              2003.08.25 手帳より

『宇宙の憧れ』
 「かの星に人の棲(す)むとはまことにや晴れたる空の寂し暮れゆく」…。 若山牧水の歌です。 孤独の思いと宇宙への憧(あこが)れが溶け合い、不思議な味わいがあります。
異星の生物と言えば火星だ。地下に水が存在することを示すデータがあります。 生物が存在した可能性もないではない。 その火星が、地球に大接近しています。 27日夜には約5千580万キロ・メートルにまで近付きます。
これほどの接近は6万年ぶりで、前回はネアンデルタール人が地球上にいたころだという。 地球と火星という惑星の楕円(だえん)軌道上の大接近に、宇宙の時間の果てしない長さを思う。
東京・北区の駿台学園中・高校では天文部員が、屋上の小さな天文台で観測を続けています。 ドライアイスが固まって白く光る南極冠や、地表の模様の撮影にも成功しました。
「火星に生物がいたらいいな」と部長の尾山慶悟君は言う。 宇宙には分からないことがいっぱいあるのです。 その認識が、私たちの夢をかきたてています。 芥川竜之介も「侏儒(しゅじゅ)の言葉」で、火星人は「我々の五感を超越した存在」ではないかと、思いを巡らせています。
夢をかき立てる赤い惑星は古来、戦いの星ともされてきた。 1877年の接近時に日本では西南戦争があり、火星は西郷星と呼ばれました。 今回は何と重なり合うか。 国旗に赤い星のある隣国の脅威であって欲しくはない。
              2003.08.5 手帳より

『介護保険制度のしくみ』
介護保険制度は、介護が必要になっても、住み慣れた地域や自宅で自立した生活が送れるよう、高齢者の介護をみんなで支え合う制度です。
●介護保険制度を運営する保険者は、市です。
●介護保険制度に加入するのは、40歳以上の方です。
・65歳以上の方を第一号被保険者と呼びます。
・40歳以上64歳までの方医療保険(国民健康保険、政府管掌健康保険、健康保険組合など)に加入されている第二号被保険者と呼びます。
【保険者】
介護保険を運営するのは市です
○被保険者証を交付します
○要介護認定を行います
○サービスの確保や設備を行います
○ 国や県と合わせて費用を負担しま
《在宅サービスの事業者や施設》
(在宅サービス)
○訪問介護(ホームヘルプサービス) ○訪問入浴介護 ○訪問看護 ○訪問リハビリ ○居宅療養管理指導 ○通所介護(デイサービス) ○通所リハビリテーション ○短期入所生活介護(福祉施設ショートステイ) ○短期入所療養介護(医療施設ショートステイ) ○痴呆対応型共同生活介護(グループホーム) ○特定施設入所者生活介護 ○居宅介護支援(ケアープラン作成)(自己負担はありません) ○福祉用具の賃与 ○住宅改修費、福祉用具購入費支紿
(施設サービス)
○ 介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム) ○介護老人保健施設(老人保健施設) ○介護療養型医療施設(療養型病床群等)
≪特定疾秒≫
○ 筋萎縮性側策硬化症 ○後縦靱帯骨化症 ○骨折を伴う骨粗鬆症 ○シャン・ドレーガー症候群 ○初老期における痴呆(アルツハイマー病など) ○脊髄小脳変症 ○脊柱管狭窄症 ○早老症 ○糖尿病性神経障害、糖尿病性腎症及び糖尿病性網膜症 ○脳血管疾患(脳出血、脳梗塞など) ○バーキンソン症 ○閉塞性動脈化症 ○慢性関節リウマチ(関節リウマチ) ○慢性閉塞性肺疾患 ○両側の膝関節または股関節に著しい変形を伴う変形性関節症☆介護保険被保険者証☆
市に住民登録がある65歳以上の方には、全員に被保険者証を交付(郵送)します。 要介護の認定を受けている方は、認定結果なども記載されています。 65歳到達月に被保険者証が郵送されます。 市に住民登録がある40歳以上64歳までの方は、要介護を受けているかたに交付します。
☆介護を必要とする度合いを心身の状態で6段階に分けています☆
要支援  日常生活の能力は基本的にあるが、掃除などの身の回りの世話の一部に何らかの介助が必要な状態
要介護1 立ち上げりや歩行などが不安定で、入浴や掃除などで一部介助が必要な状態
要介護2 立ち上げりや歩行などが自力では困難で、排泄や入浴などで見守りや一部介助が必要な状態
要介護3 立ち上げりや歩行などが自力ではできず、排泄や入浴の着脱などで全面的な介助が必要な状態
要介護4 排泄、入浴、衣服の着脱、食事摂取などの日常生活においてほぼ全面的な介助が必要な状態
要介護5 寝返り、起き上がりにも介助が必要で、日常生活において全面的な介助が必要な状態
              2003.08.24 介護保険被保険者とは

『常盤樹は長寿』
四季を通して葉の青々とした樹木を「常盤樹(ときわぎ)」と言います。 松がそうであるように、長寿のしるしにもなっています。 詩人の感性をもって常盤樹のなかに、「傷(いた)ましさ」を透かし見たのは島崎藤村です。
「あら雄々しきかな傷ましきかな かの常盤樹の落ちず枯れざる 常盤樹の枯れざるは 百千(ももち)の草の落つるより 傷ましきかな…」(詩集「落梅集」より「常盤樹」)。
日本人の平均寿命がさらに延びました。 先日発表された「簡易生命表」によれば女性が85・23歳、男性が78・32歳で、いずれも過去最高です。 慶賀の至りだが、寿命の延びた常盤樹の世界には「傷ましき」現象もあらわれている◆殴る。ける。家具などに縛りつける。 必要な介護をせずに放置する。 食事や水分を十分に与えない。 高齢者への虐待である。日本高齢者虐待防止センター(東京)には毎月、数十件の相談が寄せられています。
厚生労働省も対策に乗り出した。 手始めとして保健所や訪問看護ステーションなど、家庭内での虐待に気づきやすい全国約二万か所の施設を通じ、虐待の実態を調査するとの事です。
尊厳を保ちつつ、心身ともすこやかに暮らせるのでなければ、長寿もむなしいだろう。
藤村の詩のつづきに、「あしたには葉をうつ霙(みぞれ) ゆふべには枝うつ霰(あられ)…」とあります。 虐待の霙や霰から、常盤樹を守りたい。
              2003.08.23 手帳より

日照不足の夏に
 本当に梅雨は明けたのでしょうか。せっかくのお盆休みも、しとしと、どんよりばかりで今ひとつだったという声をたくさん聞きました。 私は何故か今年は働いていました。雨の中で「真夏の太陽の下で楽しみたい原色の花」とか、「グリーンを使ったリゾート気分のガーデン」とかの撮影は結構辛く(屋外でも照明でライティングしたり、セッティングしたものにビニールをかけておいて、少しの晴れ間に「それっ」とそれを取り除いて撮影したり……)、太陽のありがたさを思い知りました。
 何より花が咲きません。ひまわりは背丈ばかりがもやしのようにヒュルヒュル伸びて花は小さめ。ニチニチソウ、サルビア、マリーゴールドなど、本来酷暑の中でも憎らしいくらい元気な草花もなんだか元気無しです。子どもの宿題の朝顔栽培も花数少なめ。 おいおいこんな調子で大丈夫か、との不安は具体性を帯びてきていて、早くもこの冬の花、シクラメンなどの品質が心配になってきているようです。 すでにスーパーで野菜も高くなっていますし、改めて人は自然に生きさせてもらっている、と痛感します。
 そんな中で意外な強さを発揮したのが「トレニア」です。 なかなかの優れモノであることを再発見しました。 本来日照と水はけを好み、このところ続いているような天気はあまり得意ではないはずなのですが、元気に次々と花を咲かせて生育し、株もこんもり大きくなっていきます。 茂った株にありがちな「蒸れ」も少なく、「意外に良いよね」との声、しきり。きっとこの名前を聞いてもピンとくる方は少ないかと思いますし、知っている方でも、まあ、寄せ植えの脇役くらいの認識なのではないかと思いますが、 堂々主役でイケるのではと再発見しました。
 そのほか、キンケイギク(夏の野原一面に黄色い花を咲かせるキクの仲間。 私にとって、子どものころの野原の風景の原体験です)やメドウセージ等の観賞用セージ、蔓を伸ばして壁面を覆うヤマホロシなど強い強いいわゆる図鑑的知識が、植物のもつ環境適応能力によって覆されることしばしばです。
 そうは言ってもコンクリートの歩道のあちこちにうっすらコケが生えるような毎日では困ります。お願い、8月の残りの日々くらいは晴れて! 切なるお願いです。
              2003.08.20  浜田 恵理子氏より

 「君の出征に臨んで言って置く」という言葉で、手紙は始まる。 24歳の海軍主計中尉、小泉信吉は1941年(昭和十六年)12月に出征した。 慶応義塾大学の塾長をつとめた父・信三が、わが子にあてた手紙であります。
信三は書く。 「僕は若(も)し生れ替って妻を択(えら)べといわれたら、幾度でも君のお母様を択ぶ。 同様に、若しもわが子を択ぶということが出来るものなら、吾々(われわれ)二人は必ず君を択ぶ」…。
翌年、信吉は戦死する。 父は息子をしのぶ文章をつづり、手紙も収めた限定本として身近な人に贈った。 熱心に請われても一般向けの出版は拒み続け、世に知られるようになるのは信三の没後のことです。
作家の半藤一利氏も編集者のころ、「駄目です」と断られている。 信三のたたずまいと表情は、その話題を続けることが憚(はばか)られるほど厳しいものであったと、半藤氏は著書「手紙のなかの日本人」にしるしています。
国に殉ずる行為が、戦後の精神風土のなかで否定されるようになったことへの割り切れない思いを、信三は氏に語ったという。 出版を拒みつづけた理由であったろう。
「これでは祖国のために散華していった人たちの魂は永遠に癒やされない。鎮魂はならないのではないか。そうとは思わぬかね、半藤君」と。 今年もまた、8月15日がめぐって来た。
              2003.08.14 手帳より

 沢村栄治さんを知っていますか?
野球を愛した詩人サトウハチローは自叙伝のなかで、往年の名選手一人ひとりに言葉を贈っています。 巨人の沢村栄治投手にはたった一行、次のように書いています。
「戦争は、あなたを失(な)くしたことだけでも罪悪である」…。 17歳でベーブ・ルースのいる大リーグ選抜を失点一に封じた沢村は、応召して乗った輸送船を撃沈され、死亡した。 終戦の前年、27歳だった。
三重県伊勢市の山口千万石(せんまんごく)さんが86歳で亡くなった。 尋常高等小、京都商業を通じて5年間、捕手として沢村の球を受けた人です。 記事を読みながら、伝説となった剛速球をまぶたに浮かべたオールドファンもいることでしょう。
「指は十本とも脱臼(だっきゅう)した」と、山口さんは話しました。 ミットで受ける左手はともかくも、ミットの裏に添えた右手まで無事で済まない球ならば、打たれないのも道理である。
ドロップは肩口からひざ元に落ちた。試合の山場で山口さんがそれを要求すると沢村は、「ドロップで三振を取って、おれが喜ぶと思うかい」と苦情を述べたという・
「戦争は…」というハチローの言葉を人それぞれがかみしめる8月、折しも甲子園は熱戦のさなかです。 泉下で再会したバッテリーに言葉は要るまい。 ひとりは黙ってしゃがみ、ひとりは振りかぶる。 サインは直球だろう。
              2003.08.13 手帳より

 全国の成人の6人に1人は、糖尿病が強く疑われる「有病者」か、糖尿病の可能性を否定できない「予備軍」であることが、厚生労働省が6日発表した2002年糖尿病実態調査結果で分かりました。 有病者の半数は治療を受けておらず、同省は「糖尿病は自覚症状がないが、甘く見ずに健康診断を受けて発症前に治療や予防を」と呼びかけています。
予備軍880万人
調査は97年以来2回目。 質問票の回答と血液検査に応じた約5800人のデータをもとに分析しました。
その結果、有病者か予備軍である人は6・3人に1人に上り、有病者は前回調査比で50万人増の740万人(13・7人に1人)、予備軍は200万人増の880万人(11・6人に1人)と推計されました。
年齢層別では、男性の60歳代、70歳以上、女性の60歳代で有病者の割合が増え、それより若い年齢層では減った。
半面、予備軍は、男性の30―40歳代以外、女性の20歳代以外で上昇。 有病者のうち、糖尿病治療を受けている人は50・6%にとどまった。
しかし、調査での糖尿病の知識に関する質問では、大半の人が「正しい食生活と運動習慣が予防に効果的」と理解しており、同省は「頭で分かっていても、多くの人が予防のための行動ができていない」と分析しています。
歩くだけでも効果
調査の座長を務めた赤沼安夫・朝日生命糖尿病研究所長の話「有病者が比較的若い層で減少したのは、ダイエットブームの影響かもしれない。 予備軍は増えており、油断はできない。 低カロリーで満腹感を得られる食物繊維の多い野菜類を多めにとるよう心がけ、今までより10分間長く歩くだけでも効果がある」
 【糖尿病】 肉食中心の欧米型の食生活や、運動不足など、生活習慣が原因の大部分を占めています。 中年以降の肥満者に多い。 血液中のブドウ糖の濃度が高い状態が続くことで発症し、網膜や腎臓に合併症を起こす危険もあります。
              2003.08.08 危ない糖尿病〜
残暑お見舞い申し上げます  おと
台風10号、来るのかなぁ

『冷夏』
7月の平均気温は平年より北日本で2・8度、東日本で2・1度も低く、全国的に冷夏となった。 東北地方が大冷害となった1993年並みの気温で、日照時間も東北を中心に記録的に短かった。 海水浴場、ビール業界、農家などは「8月は例年通りの暑い夏になる」という気象庁の予測に期待をかけています。
冷夏の元凶は、強い勢力で北海道の北に居座るオホーツク海高気圧。例年なら、太平洋高気圧が梅雨前線を北上させ、東京では20日ごろに梅雨が明けるが、今年は8月にずれ込みました。
 7月1日から29日までの平均気温は福島市で4度、水戸市で3度、東京では2・6度も平年より低かった。
 また日照時間が特に短かったのは岩手県宮古市。 平年のわずか19%で、1日平均で約50分しか日が照らなかった。 東京は平年の34%で日照時間の1日平均も1時間半余りだった。
 神奈川県藤沢市の片瀬海岸など3つの海水浴場では、28日現在の海水浴客が50万人余と、昨年より10万人も少ない。 市観光協会は「8月に期待したい」と話しました。
 7月のビールと発泡酒の売り上げは「業界全体で例年の10%減」(キリンビール)。 景気低迷と5月の発泡酒増税に伴う値上げに冷夏が重なり、「トリプルダメージ」との嘆きも出ています。  
8月から良くなるかなぁ。  2003.08.01

「介護保険、自治体の25・7%が赤字…過去最悪」
介護保険財政が赤字になった市町村や広域連合などの割合が、2002年度に過去最悪の25・7%となり、都道府県の財政安定化基金からの借り入れ総額が403億7000万円にのぼったことが、厚生労働省の調査で明らかになりました。
介護サービスの利用が予想を上回った自治体が多かったためで、赤字になった割合は前年度より11・9ポイントも上昇しました。 赤字分は4月からの65歳以上の保険料引き上げで基金に返済するとの事です。
赤字の自治体は埼玉、静岡両県を除く45都道府県で生じ、中でも沖縄県は赤字の割合が86・5%と突出して多かった。 全国的に、規模の小さい自治体のほうが赤字になりやすい傾向も見られました。 そういえば、領収書が上がっているなぁ。
              2003.07.29 おと

『120周年・上野駅』
JR上野駅は、多くの人の思い出がしみついた場所だ。 数限りない別れの舞台ともなってきました。 人生の哀歓を感じさせる駅でですね。
1957年作の小津安二郎監督の映画「東京暮色」のラストは、上野駅です。 かつて家族を捨てた母親が娘と再会し、夜行列車で東京を去る。 母親は娘が見送りにこないかと待つが、現れない。 肩を落とす姿が無残だ。
上野発の夜行列車をテーマにした歌謡曲には、石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」があります。 「北へ帰る人の群れは 誰も無口で」の歌詞が、哀切極まりないですね。
「北へ帰る」には、傷ついた心の癒やしを求める思いが感じられる。 厳しい自然に身を委ね、自分を見つめ直す。 「北」には、そんな気持ちを呼び起こさせるところが、どこかにあるのでしょう。
旧制旅順高校の寮歌だった「北帰行」の舞台を、上野駅からの夜行列車と思っている人が少なくないのも、そのためなのかもしれない。 上野駅は皆さんたちの思いを様々に揺さぶる。 開業120周年の記念日を迎えます。
駅の外に、「あゝ上野駅」の歌碑があります。 集団就職で上京した、かつての少年らが募金運動をして、歌碑の設置を推進したとの事です。 去る人くる人、上野駅には人生が交錯する。 現代的建築様式の大通路を歩いていても、懐かしい思いがするのは、駅の歴史のせいなのだろう。
      2003.07.28 手帳より
上野駅はおとには子供の時、動物園、美術館などに行く街でしたね。

震度6強、JR石巻線で列車脱線…宮城県北部
同県北部地域では同日午前零時13分ごろにも最大で震度6弱を記録するマグニチュード5・5の地震があり、その後も余震が続いています。
 2回目26日午前7時13分ごろ、宮城県北部を震源とする強い地震がありました。 その後、震度3を何回も起きています。
朝の地震は関東地方を含むより広い地域で揺れが観測され、埼玉県大利根町、吉川市や神奈川県綾瀬市、栃木県那須町などでも震度3を記録しました。

この地震で、JR石巻線前谷地駅構内を走行していた、普通列車(4両編成)の1、3両目が脱線したとの事です。 危ないですね。
午後4時56分ごろにも震度6弱がありました。 当分続くのかぁ
地震のため、重傷、負傷者がいたし、全半壊、一部損壊もありました。 土砂崩れ、停電などの被害も相次ぎ、約2500人が避難しました。 3回とも震源地はほぼ同じ。有感地震は1日で228回を観測しました。 国内で震度6以上の地震が1日3回起きたのは、気象庁の記録が電算化されている1926年以降では初めてとの事です。

27日、朝8時半ごろ、震度3がありました。 まだ、まだか?
 最近、多い東北ですね。 関東だって。 気を付けないと〜〜。
     2003.07.27 おと

 夏の盛りを英語でドッグ・デーズ(犬の日々)といいます。 7月から8月にかけての暑い時期、おおいぬ座の首星シリウスが太陽とともに昼間の空を渡っていくことに由来です。
二十四節気の「大暑」を間近に控えたこの季節はそろそろドッグ・デーズのはずだが、空模様が少々おかしい。 日照時間が短く、気温も低い梅雨寒の日がつづいているから……。
オホーツク海にある高気圧の勢力が強く、梅雨前線が南下しているためらしい。 夏が書き入れ時の業界からは、「エアコンがさっぱり売れない」「プールに人が来ない」と、がっかりした吐息もる濡れています。
猛暑は景気とあまり関係ないという説もあります。 使えるお金には限りがあり、暑さしのぎの出費がかさめばどこかで、帳尻合わせに支出が削られるからだが、「景気は気から」とも言われています。 “らしくない”夏では気勢が上がらない。
英和辞典でドッグ・デーズを引くと、「盛夏」と並んで「沈滞期」という訳語が載っていた。 うっすらと復調の兆しも見えはじめた株価が、空模様のせいでドッグ・デーズに逆戻りするのはありよくないですね。 
例年ならば、「念力のゆるめば死ぬる大暑かな」(村上鬼城)の一句が頭をよぎる季節である。 今年は念力をしばらく温存して、「炎熱や勝利の如(ごと)き地の明るさ」(中村草田男)の到来を待つしかないのかなぁ
2003.07.21 手帳より。

 北海道小樽市の石原裕次郎記念館で、故人が小学校時代に書いた習字の作品があります。 「不自由を常と思へば不足なし」…。 朱筆で「優」と添えられていた。
裕次郎さんは10歳で終戦を迎えた。 1956年(昭和31年)「太陽の季節」で映画界にデビューしました。 経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言した年でもあります。
戦中戦後の物不足の辛抱を半紙に綴(つづ)った少年がやがて、伸びやかな四肢で育ち盛りの日本経済を体現していく。 昭和という時代の振幅を映す人生でもあったでしょう。 52歳で亡くなって今年は十七回忌、17日が命日です。
4月29日を「昭和の日」とする祝日法改正案が、16日、衆院内閣委員会で可決された。 野党の民主党、自由党も賛成した。 振幅大きく揺れつづけ、にがい教訓も若い希望も汲(く)み取れる激動の昭和に、顧みる意義を認めたのだろう。
危篤になった裕次郎さんの病室の窓からは、プールのにぎわいが遠く望めたという。 兄慎太郎さんが書いた「わが人生の時の時」(新潮社)に、「夏という私たち兄弟にとっては他人事ならぬ季節」に逝く弟を、静かに見送る場面があった。
ふたつの原爆忌から終戦記念日につづく夏は、多くの日本人にとっても「他人事ならぬ季節」に違いないでしょうね。 折に触れて昭和を思い出させてくれる人が多いでしょうね。
              2003.07.18 手帳より

   『一瞬の美 打ち上げ花火』
 花を咲かせるが一瞬なら、散るのも一瞬。 わずか2、3秒の間、夜空を染める打ち上げ花火は、まさに瞬間の芸術ですね。 「さの一瞬にすべてを賭けるのが花火師」です。
16世紀末から17世紀初頭に、初めて西洋から日本に伝えられたという観賞用花火でした。 それを見たのは、伊達政宗とも徳川家康とも言われています。 もっとも当時は筒から花火が飛び出す噴出し花火でした。 丸く広がる打ち上げ花火が登場したのは19世紀前半と言われます。 そして、時代が江戸から明治に変わると、日本の花火は飛躍的に発展しました。
 「化学薬品が輸入され、赤や緑などの色が出せるようになりました。 それまでは、線香花火が燃える時の、炭火色だけでしたから、可能性は限りなく広げました。」
 玉が開くと、星と呼ばれる火薬の小玉が光の尾を引きながら球状の広がる「菊」、星が点になって広がる「牡丹」…………。 色という“命”を得て、花火師たちが蝙み出した花火の数々は今や、華麗さ、技術ともに世界最高と言われています。
 「最近は、レモンイエローなどの中間色も出てきました。 が、思い通りの色を出すには、火薬の配合を考えながら、何度も打ち上げてみるしかない。 自分だけの玉を作る試行錯誤は、今も変わりません」と言われまし。 花火師たちの心意義に支えられた、打ち上げ花火を見ましょうね。
              2003.7.13 おと

水鳥「バン」
 バンという水鳥がいます。 ハトほどの大きさで、全体は黒いが、タクバシや額が黄や赤に、足が黄緑に彩られています。
 生まれたての雛は鶏卵大。 赤いクチバシのほかはまっ黒、成長するにつれグレーになります。 親の羽色になるには1年ほどかかります。 雛も親鳥も色彩に雌雄の差はありません。
 草の茂る水辺にいて、町なかでみられる鳥はない―――はずであった。 しかし、渋谷と横浜を結ぶ私鉄の横浜寄りのとある駅から見える小さい池に、そのバンが一羽、15年前の2月、忽然と現れた。 市街地のど真ん中です。 
戦前前にもバンを見たことはないのに〜〜。 4月、さらに一羽が飛来した。 左の前指すべて失っていた。 交尾を見て、これが雄だとわかりました。 やがて雛が生まれました。
菊名池というこの池は、かつて横浜市が大半を埋め立て、1000坪弱、80・X30・という小ささになってしまいました。 それが幸いして、間近にバンの姿を見てきたが、観察しやすいのは、蓮の葉が邪魔にならない7月の初めまでです。
以来、雄がけがをした年を除いて毎年平均3回、毎回平均5、6羽の雛がかえるのを見てきた。 しかも、同じ親から先に生まれた雛が、40日ほど遅れて生まれる年少雛を、親と一緒に育ていました。
初めてその光景を90年7月14日でした。 すでに親鳥と同じ大きさに育っていた全長グレーの幼鳥が、2日前に生まれたばかりの雛に、口移しで池の小魚やエビ、昆虫を与えていました。 その10年ほど前、上野公園の不忍池で、バンの年長雛が親を助け年長雛を育てる行動が日本で初めて観察されたことは知っています。 しかし、それをわが目で見られようとは、思いもよらなかった。 
年長雛は、親のとった餌をリレーして年少雛に与え、翼をひろげた下に弟妹を入れ、激しい日射や雨から守ります。 夕方には親を先頭に泳いでねぐらに帰る一列縦隊のチビたちの殿を固めるなど、親も顔負けです。 でも、これぞ個性!! 一向に手伝わぬ年長雛も、中にはいます。
でも親鳥の夫婦愛に例外は無く、雛が大きくなるとすぐ交尾し、何回も子を産む。 交代して卵を温め、抱卵中の伴侶には、せっせと食べ物を運び、労をねぎらうのであります。
              2003.0703 まちかど 四季散歩より

「照降町」とは
 江戸の昔、日本橋に「照(てり)降(ふり)町(ちょう)」と呼ばれた通りがありました。 いまの日本橋小舟町から小網町にかけてのあたりで、履物問屋と雨傘問屋が軒を並べていたことからつけられた呼び名と言われたとの事です。
「照降町」は辞書にも載っています。 「(下駄(げた)屋は晴天を喜び、傘屋は雨天を喜ぶ町というところから)笑う人の横に泣く人がいる状態のたとえ」(小学館「日本国語大辞典」)にも用いられたらしい◆高笑いの隣に悔し涙があるという意味ならば、人の世は至るところ照降町かも知れない。 …と承知してはいてもこのところ、「照り」と「降り」の明暗の差が妙に際だって感じられるのだが、どうだろうか。
三月期決算では、最高益で借金まで完済した日産自動車のように高笑い組も少なくない。 最終赤字で総倒れの大手銀行は、バブル崩壊から十余年に及ぶ長雨のなかにいます。
目をプロ野球に転じればセ・リーグでは、甲子園球場に高気圧が長居して、動く気配がありません。 東京ドームの周辺は「降り降り町」とでも呼びたいような空模様がつづいています。
源実朝に、雨がやむよう天の竜王に祈りをささげた歌がある。 「時により 過ぐれば民のなげきなり 八大竜王 雨やめたまえ」…。 同じ祈りを唱えたい心境の人が多いのではないか。 銀行再生も、逆転優勝も、神頼みの領域に入りつつあるのが少々つらいのでは〜〜。
              2003.06.29 手帳より

  『県身体障害者見学会(6/24.5)』
 朝(雨が降っていました)、市役所までタクシーで行きました。 大矢会長が粒良さん、大森さんを送って来ました。 会長は病院に行くとの事です。 川島副会長、沼田(バスで一緒に)さん、加藤さん、岸さんの7名でした。 8時にはバス(1号)が来ました。 東名高速を通って足柄SAで全員(バス3台、110名ぐらい)揃いました。 三島を通って、富士宮で東名高速を降りました。 雨は降っていませんでした。 富士川を越えて、駿河湾を見ながら行きました。 そして、由比で昼食(桜エビ)を食べました。 由比を出て、東名高速に戻って行きました。 浜松西インターを降りて、浜松フラワーパークに着きました。 雨が強く降っていました、外には行かず、少し見るだけでした。 フラワーパークを出て、浜松湖遊覧船を乗りに行きました。 浜松湖遊覧船は40分ぐらいでした。 みんなで浜松湖は全国2位だよ、3位だよ、、と話していました(正解10位)。 遊覧船を出て、舘山寺温泉のエンパイアホテルに着きました。 温泉の時、知らない人に手ぬぐいを絞ってくれたり、背中を流してくれました。 「大変有り難うございます」と言いました。  
 宴会はテーブルで、各市ごとに決まっていました。 食べ物はウナギですよね、エビの時、女中さんにとってもらいました、「有り難う〜〜」。 綾瀬市、海老名市、大和市、相模原市などの人がビールやお酒を持って来て、話をしていました。 飲めないおとにもビールを何杯も飲みました。 8時半頃、宴会は終わりました。 早めに寝ましたよ。 
 2日目、舘山寺温泉を出て、東名高速を通って、牧ノ原茶の郷に尽きました。 さすがにお茶の町ですね。 終わったのも有りますがまだ、残っていました。 買うところで、店員さんに「お茶、飲ませてくださいよ、飲まないと買えないよ」と言いました。 お茶
入れてくれると人が大勢来ましたよ。 牧ノ原を出て、大井川鉄道のSLを乗るため、行きました。 乗るのは新金谷駅〓千頭駅(SL)だけです。 大井川を見ながら行きました。 昨日の雨のためか清流ではなかったでした。 昔の鉄道、暑かった〜〜クーラーか欲しいよ〜。 新金谷駅の前で電車などを見ていました。 SLが来て、写真を撮りました。 千頭駅を出て、最後の買い物、焼津さかなセンターに着きました。 センターを出て、東名高速に乗って、足柄SAに着く前に富士山が見えたし、足柄SAでは小雨も〜〜。 足柄SAで、各バスと別れて、午後7時半頃、家に着きました。 福祉事務員、バスの運転手さん、バスガイド、添乗員、、、皆さん、有り難う〜〜。 来年も。
        200306.27 おと

 「執(しゅう)心(しん)鐘(かね)入(いり)」
「をとこ生れても/恋しらぬものや/玉のさかづきの/底も見らぬ」。 猟師の娘が、あこがれていた男に、恋心を打ち明けた。
沖縄の伝統芸能、組踊の代表作「執(しゅう)心(しん)鐘(かね)入(いり)」の一場面です。 女が「男として生まれても 恋を知らないでは…」とかき口説く様は、いじらしく、妖艶(ようえん)でもあります。 首里の王府へ旅を急ぐ男は逃げ、寺の鐘に隠れた。
能や歌舞伎の題材ともなった安珍清姫伝説を下敷きにしています。 だが能の「道成寺」では、裏切られた清姫が大蛇となり、鐘に隠れた安珍を焼き殺すのに、「執心鐘入」の女は僧に遮られ、悄(しょう)然(ぜん)と立ち去った。 哀れさがせつない。 
組踊は琉球王府の躍(おどり)奉行だった玉城朝薫が18世紀、中国からの使者を歓待するために始めた歌舞劇でした。 八・六音の様式化されたセリフによる演劇、三(さん)線(しん)、琴、胡(こ)弓(きゅう)、笛に太鼓の演奏と歌、それに舞踊からなります。士族の子弟が演じていたのが明治期、民間に伝わった。
伝統組踊保存会会長で太鼓奏者の島袋光史さんの人間国宝認定が、決まった。 国立劇場が沖縄に建設され、来年1月から公演も始まります。 「汎(はん)アジアの芸能」とされる組踊が、注目されています。
執心鐘入に、儒教や仏教を指導原理とする王府に迫害された、在来宗教の神(しん)女(じょ)組織への作者の同情を読み取る説もあります。 島袋さんの認定に琉球の長い歴史を考えました。
2003.6.23 手帳より

神奈川は梅雨の晴れ間が広がり、最高位気温を記録とのことです。
21日、眼科を終えて、買い物して、帰る途中、何か気持が悪く、倒れそうになりまし
た。 暑かったからかなぁ。
夕方(22日)、散歩に行きました。 曇りでした。 明日は雨との事です。
県身体障害者見学会に行く24,25日は雨を降ったりやんだりとの事です。 梅雨に戻りました。 〜〜〜〜。
06.23日 おとより

今日はバスを乗って、相模原市・相模原公園(体育館などもあります)に行きました。
雨が降りそうな中、紫陽花を見たいため〜〜。
着いたらアジサイを売っていて、買う人が多かったでしたよ。
体育館などもあるし、散歩に良いですね。
久しぶりに(1992年10月・全国都市緑かながわフェア)歩きました。
良いところですね、また、遊びに行こうと思いました。
では、         2003.06.15 おとより

 ローマを訪問中の某国王女が身の窮屈に音を上げ、こっそり街へ逃げ出した。道で寝入ったのを新聞記者が助け、やむなくアパートに連れ帰る。 王女が目を覚まし、「ここはエレベーターですか」「ぼくの家だ」。
映画「ローマの休日」にあこがれて、この道を選んだ記者も少なくないでしょうね。 映画のうち実現したのはエレベーター並みに狭い家だけだと感慨深げに語る人もいて、世紀の名画は少々、罪つくりでもあるでしょう。
飾らない人間の品格――グレゴリー・ペックさんの演じた新聞記者に、それだけの魅力があったのだろう。 6日、訃報(ふほう)が届いた。 87歳との事です。
「アラバマ物語」では、保守的な南部の町で黒人の被告人に尽くす弁護士を好演した。 無実を立証したにもかかわらず、白人の陪審員たちが下した有罪の評決の前に敗れ去る、にがい役どころである。
肩を落として法廷から出ていくペック弁護士を、大勢の黒人の傍聴者が全員起立して見送る。敗れたが、ありがとう…。 無言のうちに万感を伝える一こまが印象的だった。
「ローマの休日」の恋人たちはやがて、王女と記者に戻る。 ローマを離れる王女の記者会見が終わり、ひとり残ったペック記者が会見場を去っていく幕切れを、ご記憶の方も多いだろう。 映画で、人生で、去りゆく姿が何ごとかを語りかけた人ですね。
              2003.6.15 手帳より

NO 種目 対抗 出場者数  
1 40m   18  おと参加 
2 でかパンリレー  負け  12  
3 車椅子    40  来賓、希望者 
4 フライングディスク  勝ち  10  
5 風船わり 

 

30   おと参加  
6 パン食い競争    30  子供から→おと参加 
7 むかで競争    20  ボランティアから 
8 鈴わり     全員   参加者全員
昼 休 み
9 玉つきリレー  負け   12  
10 大玉転がしリレー  勝ち  20  
11 スプーンレース    10  おと参加 
12 さかなつり競争    21   おと参加 
13 ニ市対抗リレー  負け  7   
14 玉入れ    全員  参加者全員

『二市合同身体障害者運動会(6/8)』
朝8時35分(パチンコ店の前)、集合と言われていましたので早めに家を出て行きました。 20分頃に着いたら大沼さんがいました。 そして、小島さんが来て、「相武台の人は少ないね」と言いました。 そのうち、5,6人になって、小型バス(バスは2台で)が来ました。 広野小学校には望月さん達(10名ぐらい)、数回集まっているところを通って、海老名運動会公園に着きました。 
 入場式、開会のことば、国家斉唱、主催者挨拶、来賓祝辞、優勝杯(座間)・準優勝杯(海老名)返還、審判長注意、選手宣誓、準備体操、退場と〜〜〜。
 最初の40・競争にでました。 一番遅かったかなぁ。 対抗戦のでかパンリレーは海老名の圧勝。 フライングディスクははじめは負けていましたが、段々、良い選手のお陰で勝ちました。 風船わりとパンくい競争に入って、風船わりは早く割って行きました、パンくい競争は子供たちのためで、低いため、やりぬくかったでした。 鈴割りは海老名が早く割れました。 座間は何十分もかかりました。 昼休みに〜〜〜。
 玉つきリレーは海老名の勝ち、大玉ころがしリレーは座間の圧勝。 スプンリレーとさかなつき競争に参加しました。 二市対抗リレー(本当の決勝戦)でした。 最初は誰かが回るのを一周半もしたので再度しました。 良い試合で、海老名が離していましたが最後の市役所の清水さんが追いつきました。 接戦で負けましたが良い試合でしたよ。 応援の声が凄かったよ〜〜。 玉入れも海老名の方が楽勝でした。
 閉会式がはじまりました。 優勝杯(海老名)・準優勝杯(座間)授与、万歳三唱、閉会のことばか終わりました。 バスに乗って行くとき、少し寝ていましたよ。 審判員、ボランティア(広田さんにはカメラを撮ってくれて有り難う〜〜)さん、、、有り難うございます、来年も宜しくね。
                   2003.6.9 おと

 

6月限定の“縫いぐるみ”
 6月の町を歩いていて、小暗い植え込みの陰を、小さな黄色い粒が一つ二つすばやくよぎったら、それはコマルハナバチの雄です。 目をこらしても、姿をとらえるのは無理だから、はっきり見るには、イボタやネズミモチの咲いている生け垣を探すのがよい。 どちらも白い米粒のような小花を、10・ほどの花房にして咲いています。 この時期ほかに似た花はないから、すぐおわかりにナロウ。
なぜか彼はこの二つの花のミツだけ好きなようで、よく集まっています。 2・足らず、全長レモンイエロー、尻の先だけがオレンジできれいです。 その上、黒い目がくりくりして愛らしい。 まるで生きた縫いぐるみであります。
 ミツを吸うのに夢中な彼は、わけなくつまめる。 それを手のひらにくるむと、もぞもぞこそばゆいが、小さな命にじかに触れる感動がわく。
 蜂の雄は針を持っていないから、彼も決して刺さない。 そこを東京の子は知っていて、1983年に目黒区役所が出版した『街の自然12か月』によれば、目黒一帯の子は、この蜂を「ライポン」と呼び、捕まえて手のひらに乞みこんだり、糸で結わえて胸に止まらせ、生きたバッジにしたりして遊んだといわれます。 知人によれば、自由が丘、田園調布のあたりの子は、キグマと呼んで遊び相手にしていました。 黄色いクマンバチという意味だろう。 よい名だ。 なお、雌と働き蜂は、ほとんどまっ黒。
 キグマは、イボタやネズミモチの花が終わるころ、ぱったり姿を消す。 過去20年で7月に入っても私が会ったのは、二回だけ。 その二年とも7月初めだった。 キグマに会えるのは、6月に入っての約3週間に限られるといってよかろう。 おそらく、この愛らしい生き物の寿命は1ヶ月に満たないのであります。
 6月には、ミョルテが咲く。 美の女神ビーナスが愛した純白、清楚、径2・ほどの花が木を覆うように咲いています。 葉をもむと爽快な香りが立つので、私はお風呂に入れます。 おこがましくも、古代ローマの婦人たちがそうしたというのをまねので〜〜。
 古代ギリシャ・ローマで、柱頭の飾り文様にされたアカンサスや、王安石が「紅一点」とうたつたザクロ、花に蛍を入れて提灯のようにして楽しむこともあるホタルブクロの花たちが終わる頃、6月も終わる。
 汗がらみで電気カミソリを安全カミソリに替え、加温器もしまって、日本は本格的な雨期に入ったな、と思うころ7月が迫っています。
             2003.6.7 四季散歩より

 その昔、春をつかさどる神を「青皇(せいこう)」といい、夏をつかさどる神を「赤帝」といった。 絵の具の青と赤をまぜると紫になる。 春と夏のあわいに咲く紫色のフジの花に触れて明治期の作家、斎藤緑雨は書いています。
「青皇の春と、赤帝の夏と、行会(ゆきあい)の天に咲くものなれば、藤(ふじ)は雲の紫なり…」。 藤棚から垂れた花房が、風に波立つように揺れるさまを見れば、「雲の紫」は言葉の通りでしょう。
東京・丸の内のオフィス街では、ビルの谷間の植え込みにアジサイの花が咲いた。 名前(紫陽花)にも、その色を含んでいます。 春と呼ぶには遅く、夏と呼ぶには早い「紫の季節」を代表する花に違いないですね。
古来、高貴な色とされてきた紫だが、歌舞伎では特別の意味合いをこめて用いられています。 「病(やまい)鉢巻き」という約束ごとがそれで、紫ちりめんの鉢巻きをつけている役者は、病人を表すきまりであります。
梅雨入りの前だというのに、見渡せば、じめじめする話題に事欠かない。デフレに金融危機、「北」の核、新型肺炎…。 人によっては、花よりも鉢巻きのほうに心の傾きがちな「紫の季節」に〜〜。
関東は8日から梅雨になるとの事です。 雨はやですがアジサイは大好きな「おと」〜〜。
            2003.6.6 手帳より

  支援費制度と介護保険
 障害者でも、65歳以上の高齢者と、40−64歳で加齢による特定の病気で障害がある人は介護保険。 それ以外は支援費制度のサービスを受ける。
 どちらも市町村が主体となっている。 介護保険の財源は、保険料と税金が半分ずつ。 このため、サービスの需要が増えれば、保険料を上げることで、対応できる。 一方、支援費制度はすべて国と都道府県、市町村の税財源で賄われている。 国も地方自治体も財政状況が悪いため、サービスを増やすのが難しい。
 また、介護保険では、ケアマネジャーが高齢者のためにサービス利用計画を作成することになっており、利用者負担は原則1割。 支援費制度では、ケアマネジャーは法律の上では必ずしも必要なく、利用者負担も本人や扶養義務者の経済力に応じて細かく決められている。
              2003.6.4  情報より

   創立50周年記念式(6月1日)
 台風にも守った市身体障害者会議ですね。 朝は雨が降っていましたが記念式には雨も終わって、時々、良い天気でした。 昭和27年12月に創立(座間町身体障害者福祉会議)したとの事です。 私の生まれた年ですよ。 凄い〜〜。 現在は平成11年4月、市障害者団体連合会として発足しています。
 歴代会長は初代会長から現会長(13代)大矢さままでいたとの事です。 式典の写真はおと ニュースに、、、、。
             2003.6.2 おとより

5月は東北地震、台風といやな事ばかしでしたね。
    『星の界』
原曲の賛美歌に日本語の詞をつけた「星の界(よ)」という明治生まれの唱歌がある。 「月なきみ空にきらめく光」と始まり、「人智(じんち)は果(はて)なし…きわめも行かん」とつづきます。
その二番では「いざ棹(さお)させよや窮理の船に」と歌っています。 あすで閉館になる東京・池袋のサンシャインプラネタリウムで名残の星空を眺めていたら、聞き覚えの曲が流れ、ドームの天井に歌詞が映し出されました。
人間の知恵には限りがない。 さあ、真理探究の船をこぎ出そう。 無辺の宇宙に無限の人智を重ね見た唱歌には、近代国家の道を歩み始めた明治という時代の、はつらつたる気分が横溢(おういつ)している。
人智が切実に問われた新型肺炎への対応では、一部の国の姑息(こそく)な情報隠しが結果として災禍の傷口を広げた。 人智におごり、おぼれ、生命倫理をなおざりにしてクローン人間づくりに血道を上げる科学者もいます。
宇宙の大きさに比べ、人間の小ささ、愚かさの際だつ出来事が後を絶たない。 人智の賛歌を朗々と歌えた昔とは、「星の界」を仰ぎみての感懐も違っているだろう。
数ある星のなかでもなじみの深い北極星は、光が地球に届くまで約千年かかるという。梅雨入り間近、本物の星空にも休館日が多くなる。 遠く平安時代に故郷の星を旅立った光。一夜、宇宙旅行を終えた旅人を出迎えてみてはいかがだろう〜。  
                2003.06.01 手帳より

 東北地震で
 東北地方を襲った地震で、国の天然記念物に指定されている岩手県岩泉町の鍾乳洞「龍泉洞」の地底湖の壁が崩れ、国内有数の透明度を誇る湖水が白濁していたとの事でした。

「シャコエビ 大豊漁 石巻地方地震原因?」

地震による異変で刺し網に大量にかかったシャコエビ(28日、石巻市小積浜で)
 旬のシャコエビが、地震があった翌27日日から石巻地方の各浜で大量に水揚げされました。浜では海が荒れた時は豊漁と伝えられており、シャコエビは海底の砂に潜る習性から、大きな揺れで一斉に海中に飛び出したと見られたとの事です。
2003.05.29 おとより

 明治、大正、昭和にまたがる一世紀を生きて百七歳で世を去った彫刻家、平(ひら)櫛(くし)田(でん)中(ちゅう)は好んで「不老」の二文字を書に記した。「おとこざかりは百から百から」の名ぜりふでも知られます。
プロスキーヤー三浦雄一郎さんの父、九十九歳の敬三さんは、「百から百から」を体現する人だろう。今年2月には、フランス・モンブラン山群の氷河を滑降しました。
驚いている間もなく、今度は息子の雄一郎さんがエベレスト(8848メートル)登頂に成功しました。70歳は最高齢の記録です。おそるべき白寿の父に、おそるべき古希の子あり…。
雄一郎さんはひところ、小高い丘さえ登れぬほど体力が衰えていたという。鍛え直して最高峰に臨んだ。99歳の父が壮年期の入り口にいるならば、70歳の子は迷い道と袋小路の多い青春期を抜け出たところかも知れない。
日本人の平均寿命は男性が78・07歳、女性が84・93歳に延びた。おとこざかり、おんなざかりの高齢世代は増えていく。山好きではなくとも、父と子による「不老」の競演に勇気づけられた人は多いだろう。
地球で最も高い場所にいる息子に寄せた、敬三さんの声を記事で読んだ。短く、ただ一言、「注意して下りてきて欲しい」と。日々、山の怖さを肌で感じている現役、おとこざかりの深いまなざしに触れた思いがします。
おとは子供? まだ、まだ〜〜頑張れないと〜〜 2003.05.25手帳より

神奈川・スポーツ大会(5月18日・陸上)は雨が降るのか、降らないのか、難しい予報でした。 朝、6時のラジオ日本を聞いたら神奈川・スポーツ大会は開催するとの事でした。 8時頃、市役所に着いて、市役所の清水さん達に挨拶しました。
9時半から開会式が始まりました。 望月さん、武山さん、高橋さん、渡辺さん達とお会いしました。 アガペの事務員の人に「3,4年大会に来て、PCのヤフー(去年で今頃)で会った何とかの崎さんは居ますか?」と聞いたら「あぁ、たぶん、岩崎さんですね、言っておきますね」と言われました。 そのうち、岩崎さんと会って、「ヤフーはやめたの」と聞いたら「ハイ」と言われたので、「メール送ってね」と言いました。 
ジャージでしたが暑くなったので、実取さんと管野さん、大矢さんにゼッケンナンバーを半袖シャツに変えてもらいました。
11時頃、障害急歩の集合場所に着いて、望月さん達とお話をしていました。 試合は3人が3・ぐらい差を付けていました。 良い試合で、誰が優勝したのかわかれないほどの闘いで、来年のは、3・を少しでも近く〜〜。 5位までは入賞です。
昼食を終えて、スタンドから競技場に行く途中、倒れて左手をスリムイタ 「おと」でぇ〜す
>スタジアムの階段は私をはじめ障害で手足が悪い人には不規則で勾配がきつく危険です。直してほしい。
と、言ったのに〜〜。 血が出たのでトイレの水道で流しました。 そのうち、福祉の清水さんと会ったら「あぁ、だめですよ、救護に行きましょうね」と言われて、行きました。 先生と看護婦さんがいて、「どうしてね」と言われながら「転んで」と言いました。  バンドエイドをしてくれました。 「大げさですよ」と言いました。 武山さんが金メダルをしていたので「おと」が「武山さんが金メダルおめでとうね、写真撮ろ〜」と言って、福祉大学の学生さんにお願いしました。 武山さんに「見るのは大変ですが今はPCも使えるようになりまたね、面白いよ」と言いました。 14時前にソフト投げのために集合場所に来ました。 皆さん、お話をしていました。 試合は8人中5位でした。 優勝者は28・、2,3位は20・、4位は19・、おとは14.25・です、身体や右、左の違いなどですね。
今日は時々、晴れる天気でした。 あぁ、一回小雨が会ったなぁ。 暑くもなく、〜〜。
審判員さん、福祉大学の学生さん、大会の進行員さん、有り難うございました。
来年も宜しくお願いします。  2003.05.21 おとより

『さしすせそ』とは
煮物をこしらえるには「さしすせそ」の順に調味料を加えるという約束ごとがある。「さ」は砂糖、「し」は塩、「す」は酢、ひとつ飛んで「そ」は味噌(みそ)…。
 ベターホーム協会が料理にまつわる川柳を募集したことがある。10代の女性から一句が寄せられた。〈さしすせそ 「せ」ってなんだよ 洗剤か?〉…。旧仮名遣いの「せうゆ」、すなわち「しょうゆ」のことである。
 旧仮名遣いでなくとも、通じにくくなった料理用語は少なくない。協会には、「“落としぶた”って、どんな豚肉ですか?」「“ゆでこぼす”って、沸騰したお湯がこぼれるまでほっとけばいいの?」等々の問い合わせもあるという。
 調理済みの総菜や、下ごしらえを済ませた食材が増えるにつれ、料理の知恵が凝縮された一語一語も忘れられてきたのだろう。協会はこのほど、料理用語の解説集「なるほど、料理のことば」(ベターホーム出版局)をまとめた。
「初心者には、料理用語は現代訳がないと読めない古典、未知のことばなのです」と、前書きにある。「せうゆ」の例を見ると、あながち誇張ともいえない。
 焼き霜、踊り串(ぐし)、迎え塩、化粧塩…。昔の料理人が考えた、小粋で味わい深い言葉の数々に触れてみるのも楽しい。「洗剤か?」のおおらかさにも、それはそれで捨てがたい味があるけれど。
2003.5.17  手帳より

☆☆恋人待ち続けて(クマンバチ)☆☆
 生まれたてのトンボの羽が、陽光にキラキラ輝くと、あたりに5月が来ました。 まだ乾ききっていない羽で、弱々しくはばだいて飛ぶ。 はっとするような、初々しい命の輝きです。 近頃は学校のプールやビルの屋上庭園の池などでも生まれるから、町なかでもその姿が見られてうれしいですね。
 少なくとも日本中部の太平洋岸では、5月から10月までの半年が高温多湿期で、周囲の温度につれて体温が変わる動物たち、つまり虫やカエル、トカゲなどの活動が活発になる。 空気は湿り、植物も勢いよく育つ。 
 路傍にヘビイチコ類がルビー色の実を並べ、桑の木の赤い実が次々に黒く熟す。 まっ黒になれば、甘くなって食べ頃です。 ただ、果汁で口の端が赤紫に染まり、盗み食いはすぐばれる。 今の子には見向きもされぬが、昔の子がおやつにとかごに摘んだことは、童謡「赤とんぼ」の歌詞に、はっきり残ります。
 前の月の半ばから咲いているフジ棚の脇などで、ブンブンいっているのは、クマンバチの雄です。 あたりを見回せば、人の背の高さから、せいぜい5・までの空中に、黒い蜂が転々と浮かんでいます。 お互いに数・以上の間をおいて、一点にとどまっています。 空中停止飛行をして他の個体や虫が近付くと追い払うのです。 縄張りを守り雌の飛来を待つのだが、一度もランデブーを見たことがないところをみると、かなりな根気仕事であるようです。
 体調2・強、まっ黒で熊のような姿は、いかにも強そうだ。 自分の百倍はありそうなスズメを追い払うのを見た時は、凄いですよ。
 クマンバチの雄は、決して人を刺さない。 元来、蜂で刺すのは雌と、卵は産まないが本来雌である動き蜂だけです。 彼女たちの産卵官が刺し針を兼ねている。 しかし、蜂は腰のくびれた類と、のっぺり腰の類に大別され、前者だけが刺す。 クマンバチの雌も腰がくびれてはいるが、おとなしく、人を刺したという話は聞きません。
 雄の空中停止飛行は、5月中旬で、ほぼやむ。 そのころ寿命が尽きるのであろう。 中旬、店先に青梅と泥ラッキョウが現れ、やがて、それが姿を消す出ころには、もう6月が迫っています。
                  2003.5.11 四季散歩より

おとは朝、タクシーで、福祉会館(介護保険・6月から)と市役所に行きました。
市役所から楽天家(介護商品)に行ってから駅のソバ屋に入りました。
電車で相模大野駅に着いて、バスで北里東大学病院に行って装具を直してもらいました。
先生が新しい装具をしようと言われて、市役所に電話しました。
その時、山口さんもいました、車イスの車を直すとの事でした。
山口さんに乗せてもらって新しい装具のための書類をもらいました。
山口さんは車のガソリン券をもらいました、そして、22日、一緒に北里東大学病院に行く事を決めました。
あぁ、病院で、会社の先輩と会いました。
久しぶりの北里東大学病院です〜〜。
      2003.5.8 おと \(^o^)

大凧まつり
市の伝統行事「大凧まつり」が、今年も5月4日と5日、座架依橋上流の相模川グランドで開催します。 今年の大凧は、百畳敷き(13?四方)で、重さ約10?という迫力のある大きさです。 良い風であることを。 去年は失敗〜〜。 勇ましく大空へ舞う姿を見たいですね。 また、付近には菜の花やレンゲソウなどが彩り豊かに見頃を迎え、訪れる人を訪れるでしょう。 風薫るふるさとの空に、引き手の意気込みで舞い上げる大凧と、風に揺れて色鮮やかに、、、。
                            2003.5.1 おと

今日は緑の日であり、昭和天皇の誕生日ですね
市では花木の日でもあります
おとも遊びに行きましたよ〜〜
☆☆☆☆
アルバムの旅行の中に写真があります
見て下さいね
           おとから
緑の日と昭和天皇
スギ科のメタセコイアは和名をアケボノスギという。昭和天皇が1987年(昭和62年)の歌会始で詠まれたお歌がある。「わが国のたちなほり来し年々にあけぼのすぎの木はのびにけり」…。
この木が渡来したのは1949年(昭和24年)のことである。米国の研究者が昭和天皇に献上し、苗木は皇居の吹上御所に植えられた。まだ占領下のころである。
3年後の4月28日に講和条約が発効し、日本は念願だった主権を取り戻す。敗戦の傷跡を色濃くとどめ、諸外国に伍(ご)していく工業力もない。米国からもたらされた小さな苗木は、不安と希望を抱いて国際社会に一歩を刻んだ国の姿そのままであったろう。
お歌の詠まれた87年は、戦後復興が仕上げに入った年である。平均株価は初の2万円台をつけている。デフレにあえぐいまの目に、苗木が巨木に育っていった戦後の成長は、まぶしく、少々ほろにがい。
独立国の主権を回復してから、きのうで51年が過ぎた。きょうは「みどりの日」で、昭和天皇の誕生日でもある。お歌が思い出される季節である。
原爆忌や終戦記念日の夏がそうであるように、じっと瞑目(めいもく)してしのぶ昭和がある。目を上げて、高みを振り仰ぐようにしのぶ昭和もある。アケボノスギは昭和天皇の墓所である武蔵野御陵にも植えられている。
                    2003.04.29日 手帳より

SARSが

東アジアの経済成長予測 新型肺炎で5%に減速 
新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)の感染拡大を防ぐため、北京市は24日、感染者が出た病院などを強制封鎖し、新たな感染源となる可能性がある人や施設の隔離を徹底する強硬措置に乗り出した。
おとの会社にも中国工場があります。 今、受注が増えて、督促が多く、回答が出来ないおとでぇ〜す。 しかし、品物が送れなくなると大変です。 どうなるのかなぁ。
SARSは東アジアを中心に各世界に〜〜
「野味(野生動物を材料とする料理)」か?との香港から
飛行機や船でくる人、野菜などから〜〜怖いですね
    2003.0.25 おと

20日、県スポーツ教室に行きましたが雨のため、中止でした。 体育館があるのに〜〜。
しかし、朝から段々寒くなりまし。 5月18日の県スポーツ大会まで〜〜。
                       おと
 青が今年、注目の色なのだという。バラやペチュニア、カーネーションなどに青色系の新品種が相次ぎ登場しました。
女性衣料でも春夏物の流行色は、明るさ鮮やかさを抑えた青と緑だと、日本流行色協会が予測しています。変化の激しい時代の中で、自分を見つめ直すのに適した色が、青なのだという。
流行色は予想に過ぎないが、好景気には暖色系がはやり、不況期には寒色系が流行するという説もある。なるほど青の時代だと、納得してしまう。青は藍(あい)で染めるところから、色の名がついた。
瓶覗(かめのぞき)に浅葱(あさぎ)、瑠璃(るり)色、納戸色、群青、青鈍(にび)など、色の濃さに応じた様々な呼び名がある。緑を青の範囲に入れることもある。信号の緑を「青」と呼ぶのもそうだし、青葉、青物も緑だ。青年という言葉も、植物の若々しい緑からくるらしいです。
オフィス街に初々しい新入社員が目立つ。苦悩や絶望を歌った「ブルース」の青よりも、「青春」「青空」の青を生きて欲しいと願う〜。
              2003.0421 手帳より

 雁(がん)は旅する時、くちばしに小さな木片をくわえて飛ぶ。疲れると海面に木片を浮かべ、その上で翼を休める。秋、海を越えて飛来した雁は木片を津軽の浜辺に置いて南へ旅をつづける。
翌年の春、雁はまた同じ木片をくわえて北へ帰っていく。木片が残っていれば、冬を越す間に日本で死んだ雁のものである。人々は浜辺に残された木片を拾い集め、風呂をたいて哀れな雁を供養した。
…と書き連ねたのは、青森県の外ヶ浜に残る言い伝えである。「雁風呂」という。渡り鳥の生態を空想しては紡ぎだした物語だが、旅する者に向けられたまなざしはやさしい。
旅が苦難の代名詞だった昔である。群れを離れた一羽に自身の姿を重ね、「病雁の夜寒に落ちて旅寝かな」と詠んだ芭蕉の句境にも通じよう。
海外では新型肺炎が暴れている。楽しみの代名詞となった現在も、旅が予期せぬ災難と隣り合わせであることに変わりはない。旅に病む雁のあわれは時節柄、旅する当人はもとより帰りを待つ家人にとっても、ひとごとではあるまい。
故郷シベリアへ旅立つべく北海道美唄市の宮島沼に集まった真雁(まがん)の写真があった。沼の景色が隠れるほどに群れ舞う姿は、にぎやかである。「かしましや江戸見た雁の帰り様」(一茶)…。つつがない日本の冬であったか。
              2003.4.18 手帳より

福祉会館に行く途中、いつもの公園を通ったら、花吹雪でした(おと ニュースに)
帰りは花見をしている人が多く、県議選の選挙カーを降りて、みんなに握手していましたよ〜
今年の主な日程
5/18  県スポーツ大会
6/1   創立50周年記念式典
6/8   二市合同障害者運動会
8/10  納涼ダーツ大会
9/15  ふれあいフェスティバル
9月    障害者激励入湯会 18〜19か28〜29
10月   親睦旅行(一泊)
11/9  市ふるさとまつり
12/7  にこにこフェスティバル
1/11  新春会長杯ダーツ大会
2月    親睦旅行(日帰り) 
    2003.4.6 おとより

 ユリ科の仲間、エンレイソウ(延齢草)は春の盛りから初夏にかけて、可憐(かれん)な花を見る。北海道に旅するとき、
ゆく春の後ろ姿を飾るように咲いた白い花を目にされた方もあるだろう。
成長の遅いことで知られている。芽生えてから葉が一枚、また一枚と増え、花が開くまでに十五年ほどかかるという。
甘美に先立つ長い辛酸に、ふと、人の世の山坂を重ねたくなるような花である。
「薔薇(ばら)ノ木ニ/薔薇ノ花サク。/ナニゴトノ不思議ナケレド」(北原白秋)…。
長い冬に耐えて、小さな花をつけたエンレイソウ。その実力をもってすれば「活躍に何ごとの不思議なけれど」
という期待の重圧をはねのけて、開きつつある大輪のバラ。どちらも美しい。
            2003.4.5 手帳より

皆さん、こんにちわ
桜の道を歩いて来ましたよ〜〜
曇りでしたから余り悪い写りです〜
でも、3、4分で、もう花見をしている人がいましたよ〜〜
明日はゴザ合戦かなぁ
良い天気なら満開近いですね
暫く良い天気である事をお祈りします
2003.3.29 おと (@_@) (*^_^*)

戦争開始
悪い戦争が始まりましたね
米軍、ピンポイントでフセイン一族に狙いでとの事ですが?
イラクの人々はどうなるのか?
フセイン大統領は?
アメリカは占拠していくのか?
そして、北朝鮮、イスラエル、パレスチナ、、、増えるのかなぁ
どちらにしても悲しい出来事です
2003.3.20 おと

3月は旅立ちの季節

 3月は卒業のシーズンですね。 かつて、卒業式といえば「仰げば尊し、わが師の恩……」「蛍の光、窓の雪……」の歌が流れていました。 恩師への感謝、級友との別れに、感涙にむせぶ人も少なくなかったですね。
 明治19年の帝国大学令には、「分科大学の学科を卒へ定規の試験を経たる者には卒業証書を授与す」と言った。 帝国大学の卒業証書は、最新の学識を取得した学士として認定し、高級官僚などエリートへの道を約束するものです。
 その後、一般化した学校制度のもと、特に戦後は、小中高校の全課程を修了したことを定める卒業証書授与、卒業式が、晴れがましい春の祝典となりました。
 戦後継続してきた画一的な教育システムは、それなりに広範な国民に等しく教育を受ける機会を与え、多くの人材が育った。 しかし、1970年代以降の校内暴力やいじめ問題は、このシステムと学歴主義に対する反発が表面化したものであり、近年の学校崩壊は、その問題が環界点に達しつつあることを警告しています。 今、現実の社会に即した職業選択を可能にする、個性を伸ばす柔軟な教育システムの構築が求められます。

 若者達の3月が卒業のシーズンであるのに対し、中高年にとってはどうか。 役所などでは、定年退職の季節でもあります。 
 定年制の由来は、明治期の陸海軍で現役定限年齢を設けたことにあります。 明治8年の海軍てい退隠令などがそうです。 また、官史については同23年の官史恩給法があります。 
 これらの退官と恩給がセットになっていた点があります。 定年制は労働力を入れ替えて、組織の活性化を図る機能をもつ。 その意味で、定年退官という「?老」に対して、恩給という「養老」の対策が不可欠であったという指摘もあります。
 定年制が中小企業にも導入されたのは、戦後の高度経済成長期です。 賃金コストの抑制、人事ローテーションなどを目的に、熟訓労働力を生産現場から排除していったのです。
 そこで必要になったのが、年金の制度です。 昭和36年には国民皆年金体制ができあがり、老後の安定が人々を安心させました。 しかし、いま長引く不況の中で高齢化が進み、その年金体制が危機を迎えています。 老いの文化に国民的規模で取り組む時代がやってきました。
 
 高齢者が定年後に何を選ぶか。 多くの体験談が語っているのは、仕事、趣味、奉仕のいずれかです。 仕事の場合は技能が、趣味のためには経済力が必要です。 しかし、奉仕にはただ大きな感謝の気持ちさえあればいいのです。 感謝と奉仕の心は、長寿を授かった自分自身の中に探すことができます。 先人たちは長寿の生命力のもととなる食物が、すべて例外なく動植物の犠牲であることに驚き、手を合わせることを学んだ。
 「一期一会」。 人生は出会いと別れです。 卒業も定年も一つの世界の終わりではあるが、次の世界への新しい旅立ちでもあります。 3月は、システムの人生の生老病死の節目を教えてくれる季節でもあります。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆
倒れて15年目

昭和63年3月22日、倒れて15年目、早いのか遅いのか? 両親が亡くなって、一人で何とか頑張っています。 会社の人や福祉会館の人、、、有り難うございます。
◎脳出血による右手指、右下肢機能障害と言語障害(失語症とも)。 障害3級 。 本当に何にも記憶がなく、空白でした。 そして、車イスを使えました。 言語も全くだめでしたが絵を見て、左手で当てました。 15年たって、散歩(マラソンです)も出来るし、話すのもだいぶ話せました。 皆さんのお陰です、さらに努力しますので宜しくお願い申し上げます。
旅行やスポーツ、パソコンなどで素敵な友達を〜〜〜。
                                 2003.3.13   おとより

お待たせ春一番、関東で 昨年より12日早く

マフラーを脱がせる春一番

 気象庁は3日、関東地方に春一番が吹いたと発表しjました。 昨年より12日早かった。
  同庁によると、日本海にある発達中の低気圧の影響で、関東地方で南部を中心に強い南風が吹き、気温が上がりました。
  東京では午後0時25分ごろ、最大瞬間風速21・4メートルを記録。千葉でも正午過ぎに19・3メートル、横浜でも午前11時ごろに18・5メートルの風が吹いた。
 また、気温も東京で午後1時前に平年より6度近く高い17・1度となった。
 しかし、午後は雨が降りはじめました。  明日は良い天気ですが寒くなるとの事です。
三寒四温ですね。  あぁ、今日はおひな祭りですよ〜〜。           
                         2003年3月3日 おとから

雛祭りについて

3月3日はご存知お雛祭りの日です。この起源は中国にあり、3月最初の巳(み)の日を忌日として川や海で禊をして厄を払う行事であったと言われています。「上巳(じょうし)の節句」という呼び名が残るのはこのためだったりします。3月3日に固定されたのは室町中期以降であるとの説が有力です。日本で行われるようになった時期については諸説あるのですが、平安中期には原形とも言える物が現れて来るようです。
この禊をする際には、当然ですが本人が水に浸からなくてはなりませんでした。しかし、それでは誰でも出来る訳ではないですし、第一に冷たい。又、禊をする為に遠方まで出掛けた上に寒い思いをするのは嫌だけど、禊をしないで厄が降りかかるのはもっと嫌だと言う、或意味では爛熟しつつあった平安貴族の知恵と言うか、わがままから発生した部分もあったりします。
紙で作った人形(この場合はモひとかたモ)で体を撫でて、身の穢れや災いを人形に移し、それを海や川に流して禊とするようになりました。これなら室内で出来ますし、お天気が良ければ川や海まで自分で流しに行く。ちょっとした遠足みたいなものですし、気候が悪ければ使用人や代表者が流しに行くという、とても実用的な習慣が生まれて、一挙に人気行事となったようです。
人形は古代から呪術や占いに使われていたのですが、平安初期からは宮中を中心に遊具としての性格を持つようになります。これは紙と染色の発達とも歩を合わせているのですが、現在で言う着せ替え人形に近い物で、男女の人形によるままごと遊び的な性格も持っていたようです。この遊びが「ひいな遊び」と呼ばれていました。「ひいな」とは「小さくてかわいらしい」といった意味を持つ言葉で、現在の「ひな」と同意だとされています。つまり、ちょうど定着しつつあった「ひいな遊び」で使っていた人形と「上巳(じょうし)の節句」の禊の行事が結びついて、現在の雛祭りの原形が成立していったとの説が有力なのです。そしてそれが庶民層へ浸透し、各地へ赴任する地方官僚や随身や僧によって、全国へ波及してゆきました。
雛祭りは「桃の節句」とも呼ばれます。古来中国では桃には霊的な力があると考えられており、上巳の行事は桃花による厄払いが主要なものでした。旧暦では今年であれば4月7日となり、ちょうど桃の花が満開の時期に行われます。直接の関連は定かでは無いのですが、この伝承も加わって「人形」「桃の花」「厄払い」の要素が揃いましたが、流し雛と現在のお雛様を飾る「女の子の節句」とはまだ随分開きがあります。
雛祭りが現在の形に近づくのは、江戸時代に入ってからだと言われています。徳川家康の孫、つまり徳川二代将軍徳川秀忠の娘である中宮東福門院和子様は後水尾天皇へ入内し興子(おきこ)内親王をもうけます。これは言うまでもなく徳川政権の朝廷統制策なのですが、寛永6年(1629)の3月3日上巳に7才の祝を兼ねて雛遊びを催し、その際に親王雛の原形となる人形が作られた記録があります。興子内親王は後に即位されて明正天皇となられるのですが、この故事をもって江戸では上位である左側に女びなを飾る習慣が定着しました。また3月3日に定着したのはこれが元だとの説もあります。
 
この事例を受けて三代将軍徳川家光の長女千代姫の7歳の祝に、正保元年(1644)3月1日、諸臣よりひな人形が献上されました。以後大奥では女の子が生まれるとひな人形が贈られる風習が生まれたとされ、それを雛祭りの際に飾るようになったのが、現在の飾り雛人形の元となったのでないかと言われています。
 
延宝年間(1673-1681)に入ると、俳句の歳時記にも「ひな」という言葉がが3月3日の言葉として定着したようで、関西・関東共に都市部から雛祭りが定着し、女性の守護神として広がりつつあった淡島大明神が流し雛の根元であった事ともあいまって、淡島願人坊主によって信仰と共に広められ、急速に全国で雛祭りが行われる様になったようです。
雛祭りのお供えとして付き物なのは、菱餅と蛤(はまぐり)です。菱餅は下から順に緑、白、桃なのですが、これは蓬(よもぎ)餅の上に紅白の餅を並べた事に始まると言われます。蓬は古来より厄を払う草として珍重され、ご存知のように、葉の裏の白い綿毛はお灸に使われる「もぐさ」にもなる漢方薬として薬効の高い事でも知られています。また、真ん中の白を雪に見立てて、桃の花の咲くまだ残雪が残るものの、雪の下では緑の草が萌え出している情景を写したとの解釈もあります。蛤は女子の貞操を表すものであるとの考えが古来よりあり、初期はお供えの器に蛤の貝殻を使ってもいました。これは「貝合わせ」でも使われるように、良く似た形をしていても、ちゃんと一対になる物は一組しかない事に由来していいます。また視点を変えると、旧暦3月3日前後は大潮にあたり、潮干狩りが盛んな時期でもありました。寒い冬から桜の時期を過ごし、水も温んで当時の数少ない娯楽であった潮干狩りでの獲物である蛤に、意味を込めて頂いたとの説もあります。ちなみに節句の日は休日である事も多かったようです。
雛飾りの人形も最初は一般的には「立ち雛」と呼ばれる立像だったのですが、時代が下がるにつれて現在の雛人形に近い物になってゆきます。この変遷は私が言葉でご紹介するより、京都国立博物館のHPに画像付で紹介されていますので、ご覧になって頂いた方が判り易いと思います。江戸中期以降は、雛飾りが余りに豪華になりすぎたため、享保6年(1721)を初めとして、「大雛禁止令」が重ねて出されていて、違反者が実際に入牢した記録も残っていたりします。
「雛祭り」は「上巳の節句」としての厄払いから、徐々に女の子のお祭りとして姿を変えながら今に至っています。「嫁入り」という言葉が現実的で、結婚すると実家から縁が薄くなった儒教時代としての江戸時代に、娘達を思う親の心の現れとして盛んになったとも言われています。
流し雛の昔から、子供達に降りかかる厄を払い、幸せを願う行事である事に変りはありません。そして、家族で祝う雛祭りの思い出が、子供たちの大切な宝物である事もずっと変わらないような気もします。
左右が代るのは、内裏雛、親王雛だけです。
現在は左大臣、右大臣と呼ばれるのが一般的ですが元々は、貴人を警護する役目なので「随身」と言い「左近衛」「右近衛」となり、「左大臣」「右大臣」となったようです。
出世したと言うべきか、階級のインフレと言うべきか。
ちなみに老人が「左近衛」、若者が「右近衛」でそれぞれの右手に、羽が下を向くように矢を持ちます。
これは飾り段が増えて仕丁(衛士)が現れた際に変化したとの説が有力です。
尚、仕丁は東京では向って右から立傘を持った「笑い上戸」、沓台を持った「泣き上戸」台傘を持った「怒り上戸」の順となりますが各由来はあまりにも諸説あるので控えさせて頂きます。
京都流では持ち物が「ほうき」「ちりとり」「熊手」となります。
こちらは、階級が下落したのではないかと言われています。
大臣からいきなり、間の役職がなくて下男と言うか中間みたいな設定ですものね。
桜と橘も基本的に「左近の桜」「右近の橘」と呼ばれ一定のようです。
蛇足になりますが、三人官女は「式三献」の給仕役なので向って右から「長柄の銚子」「盃」「加えの提子」です。
五人囃子は能の囃方と同じ構成なので、向って右から「謡」「笛」「小鼓」「大鼓(おおかわ)」「太鼓」の順となります。
             2003.02.23 もうすぐ雛祭り おと

  医療費3割負担 野党、凍結法案を提出

 4月からサラリーマンの医療費自己負担を3割(現行2割)へ引き上げる問題で、民主、自由、共産、社民の野党4党は12日、引き上げ凍結を求める法案を衆院に提出した。民主党の枝野政調会長は記者会見で、「引き上げは消費者心理に多大な影響を与える」と景気への影響を指摘し、与党が凍結法案の審議と採決に応じるよう求めた。

 引き上げに反対する日本医師会、日本歯科医師会など4つの医療関係団体は同日、都内で記者会見した。日本医師会の糸氏英吉副会長は「野党の主張は我々の主張とよく似ている。残念ながら我々が信頼する自民党は(凍結に)OKだが、首相官邸の抵抗で実現していない」と述べた。そのうえで、「各都道府県医師会の意見も十分に調整して今後の対応を決めざるを得ない」として、政府・与党の対応次第では4月の統一地方選などで自民党支援を見直す可能性を示唆した。

 一方、小泉首相は12日の政府・与党連絡会議で、「迷うことなく引き上げを実施する」と引き上げ実施を改めて表明した。

 ◆4月実施で一致…首相と公明代表

 小泉首相と公明党の神崎代表は12日夜、首相官邸で会談し、サラリーマンの医療費自己負担3割への引き上げを予定通り4月から実施する方針で一致した。日本医師会などが引き上げに反対している。

もうこれ以上は無理
反対しよう〜 おと (>_<)   2003.02.16 おと

 コラム
   『豆まき 』
 豆まきでは年男(その年のえとの生まれの人:今年
12,24,36,48,60,72,84,96,108,120歳になる男性)あるいは一家の主人が「福は内、
鬼は外」といいながら煎った大豆をまき、みんな自分の年の数だけ豆を食べるとこれ
から1年病気にならないと言われています。また妊婦のいる家庭ではこの豆を安産の
お守りにもします。もともと宮中の行事が一般家庭に普及したものとされますが、最
近は大きな神社などで芸能人やスポーツ選手などを招いて豆まき大会をやっている
ケースも多いようです。
さて、この大豆ですが、硬いですね(^^) 硬いものというのは「木火土金水」の五行
では「金」に属します。この大豆は最初煎ることによって火気にあてられ「火剋金」
の原理で剋された上に、「鬼は外」といって外にまかれて捨てられたり、「福は内」
といってまかれてから人々に食べられたりして、要するに豆はみんな「やっつけられ
てしまいます」。
古来疫病や災厄というのも金気に属するものと考えられていました。ですから豆とい
うのは実は鬼をやっつける道具でありながら実は鬼そのものでもあるわけで、豆まき
というのは邪気を祓うとともに、「金」の気を剋することで「金剋木」で金気に剋さ
れるはずの「木」の気、つまり春の気を助ける行事、つまり春を呼ぶ行事でもあるの
です。
 豆まきの豆について
豆まきの豆について、重要なことのひとつは煎り豆を使うということです。万一生豆
を使って、拾い忘れたものから芽が出るとよくないことがある、と言われています。
また近年、「下に落ちた豆を食べるなんてきたない」といって、大豆ではなくピー
ナッツを使う人たちが増えています。この風習は新潟地方から広まったようです。
なお、家庭によっては豆だけでなく、チョコレートやキャンディ、またお金を包んだ
ものをまいたりもするようです。
 鬼は外ではない?
一般的な豆まきの口上は「鬼は外、福は内」で、少なくとも室町時代にはこの口上が
できていたらしいのですが、そう言わないところも数多くあります。これは豆まきの
風習が全国に普及していくなかで出来ていったバリエーションではなかろうかと思わ
れます。
例えば起源がはっきりしているものとして、福島県の二本松地方では「鬼は外」とは
言わないか、あるいは「鬼外」と「ワ」の音を抜かします。これは二本松藩の殿様は
丹羽氏なので、「鬼は外」と言うと「お丹羽様外」になってしまうからだといいま
す。 恐れ入谷の鬼子母神
東京都台東区の鬼子母神(仏立山真源寺)では「福は内、悪魔外」で「鬼は外」と
は言わない。
川崎市の千蔵寺
ここも本尊が厄神鬼王(やくじんきおう)という鬼面の神様なので「鬼は内」と鬼
を暗くした堂内に呼び込み、住職が鬼たち説教をして、悪い鬼は改心させ社会復帰さ
せるという。
愛知の大須観音は「福は内」だけ
鬼の面が寺宝なので、「鬼は外」は唱えない。
埼玉県の武蔵嵐山の鬼鎮神社(きじんじんじゃ)
平安末期に畠山重忠の館・菅谷館の鬼門を守るために作られた神社で、鬼が御祭神
であり、鬼が邪気から人々を守ってくれるということになっており、江戸時代ころか
ら鬼が豆をまいて厄払いをするようになった。口上は「鬼は内、福も内、悪魔外」。
奈良市中院町の元興寺
元興寺には、元興神(がごぜ)という鬼がいて悪者を退治すると言い伝えがあるこ
とから「鬼は内、福は内」。
奈良県の天河神社
ここも「鬼は内、福は内」です。鬼を接待します。
新宿歌舞伎町の鬼王神社(きおうじんじゃ)
やはり鬼が御祭神なので。「鬼は内、福は内」。
つくば市の鬼ヶ窪地区
鬼が地名につくことから「鬼は内」というところも家庭によって残っているそうで
す。
群馬県鬼石町
昔鬼が投げた石でできた町と言われており、鬼は町の守り神になっている。そこで
近年では、全国から追い出された鬼の安住の地をうたっており、「福は内、鬼は内」
という。
佐渡両津の山本家
昔田植えが暴風雨に遭った時、鬼が助けてくれたという伝説があるため「福は内、
鬼も内」という。
宮城県村田町では「鬼は内、福も内」
渡辺綱がこの地で伯母に化けた鬼に腕を取り返され、鬼が逃げてしまったので、鬼
が逃げないように「鬼は内」になった。
熊野本宮宮司の九鬼(くがみ)家
九鬼一族の本拠地ですが、「鬼」という字はもともと「神」の意味なので、ここで
は「福は内、カミは内」と唱える。
綾部の大本教本部
ここも「鬼は内、福は内」。綾部九鬼家と関わっているからか?あるいは王仁三郎
さんのところだからか? その他豆まき文句のバリエーション
豆まきの時のセリフのバリエーションについても民俗学で研究がおこなわれているよ
うです。
基本的な話として「鬼は外」と「福は内」のどちらを先に言うか、とか、それぞれを
何回言うか、というのが地方によって異なっていたようです。ただし最近ではこの付
近の風習はどんどん曖昧になってきているようです。
今そういう習慣が残っているかどうかは分かりませんが、「富は内」というのが加わ
るところもあったようですし、「大荷(おおに)は内」などというのが入るところも
あったようです。また、「鬼の目玉ぶっつぶせ」というのが加わるところ、かけ声?
で「ごもっともさま」というのが入るところなども文献上は記録されていますが、今
でもこういうのをやっているかどうかは分かりません。
             2003年1月27日 豆まきにへ

ほうき・ちりとり…霊魂集める聖なる用具 
 箒(ほうき)と箕(ちりとり)は現在ではたんなる掃除用具としか考えられていないが、ともにもとは聖なる用具と意識されていた。箒は『古事記』には「玉箒(たまぼうき)」と記されていて、人間の霊魂(タマ)とかかわりの深いものであった。謡曲『高砂』に出てくる有名な「尉(じょう)と姥(うば)」の持ち物として欠かすことのできないものとして杷(さらい)と竹箒がある。尉が杷を持ち、姥が箒を持つ。ともに霊魂を掻(か)き集める呪具である。したがって「お前百まで儂(わしゃ)九十九まで」と、霊魂を掻き集めて生命力の更新をはかり、長寿を全うしようとするのである。
 箒は掻き集める用具ではあるが、その形状は逆さに立てると、神霊降臨の依代(よりしろ)であるオハケと似通っているために、さまざまな信仰がある。長居の客がいて早く帰ってほしいときは逆箒(さかさほうき)を立てる。それはオハケに神霊が降臨して祭事の最中であるから、祭事に無縁の者は神意によって退散させられるというのである。箒はこのように神聖なものであるため、絶対に跨(また)いではいけないというし、普段の収納も丁寧にしておくものだとされている。
 ◆安産、子供の成長に力
 この箒に宿る箒神は、出産に立ち会う産神(うぶがみ)の一つと考えられ、箒神がやってこないとお産がはじまらないので、常日頃(ひごろ)から箒を大切に扱わないと難産になると戒め、出産にさいしては産屋(うぶや)の一隅に箒を祀(まつ)ったり、産婦の枕元や足元に逆箒を立てたり、箒で産婦の腹をなでたりする風習もある。箒は掃き出すという機能から、子供を早く世に出す安産の呪具であるとともに、掃き寄せるというもう一つの機能から、生児の体内に霊魂を入れて落ち着かせる呪具であり、箒神を産神と観念したのであった。
 熊手も杷と同じ形状であり、ときには同じ用具とされている。ともに箒と同じく霊魂を掻き集めるものと考えられ、有名な東京都台東区の「酉(とり)の市」には「お酉様の熊手」といい、吉兆招来の縁起物として授与され、参詣(さんけい)者は福を多く掻き集めようと、できるだけ大きな熊手を授かろうとする。
 箕は穀物などの実と殻を選別したり、穀物に混じった塵(ちり)を除去したり、籾(もみ)や精製された米などをすくう用具であるが、これもまた聖なる呪具と意識されていた。日本人は人間に霊魂が宿るように、穀物にも霊魂が宿り、この穀霊と人間の霊魂を渾然(こんぜん)一体と認識していた。したがって、穀物をすくう用具たる箕は霊魂の器として、神聖な霊力をもつものと考えていた。
 そのため、正月の年神迎えのさい、天空や山中や海上の他界からやってきた年神の霊を、箒で掻き寄せて箕ですくい、福を得ようとする所作を行う地方もある。こうした年神や田の神に供物を供える器として、箕を使用する習俗が広く見られる。また、子供の初誕生に穀霊の象徴としての餅を搗(つ)き、その誕生餅を子供に背負わせて、箕の中に立たせる作法をするところも多くあった。餅を背負わせることは、穀霊をもって未熟な子供の霊魂を補強することであり、箕の中に立たせることは両者の霊魂をさらに一体化させ、その成長を祈るものであった。
 ◆「魂呼び」「魂呼ばい」にも使用
 さらに、気絶したり死に直面した人のあったとき、生き返らそうとする「魂呼(たまよ)び」あるいは「魂呼ばい」と称する呪法にも箕が用いられる。息子など身近な者が屋根の上にのぼり、いままさに死なんとする人の名を呼び、箕を持ってすくう所作をする習俗も広くあった。人の名は肉体ではなく霊魂につけられたものであるから、名を呼ぶことはその人の霊魂を呼び返すことであり、霊魂の器である箕をもってその霊魂をすくい、現世に戻そうとするのである。
 なお、『竹取物語』でかぐや姫を竹の中から拾いあげた竹取の翁は、竹で箒や箕などを作ることを生業とする人をモチーフにした物語であるともいわれる。箒や箕は竹で作ることが古来主流であり、これを生業とする人たちがいたことを物語っているのだろう。
                              200301018  言葉より

   市ダーツ大会と新年会
  今日は深夜雨か雪を降ったとの事でした。 朝、ヘルパーさんに手伝ってから歩いて市福祉会館に行きました。 1階の社協居宅介護支援事業所に着きました。 土曜日ですから人が少なく藤井さんは休みで、小島さんがいました。 小島さんと別れて、3階に行きました。 成田夫婦さんたちに会いました。 会場に間ったら会長達に会いました。 沼田さん、望月さん、高沢さん、小島さん、西さんたちにも会いました。 ダーツ大会は海老名市の人たちが審判員でした。 会長の挨拶の後、優勝カップを返しました。 おとの闘いは成田(奥さん)、沼田さんには勝ちました。 そして、高沢さんに負けました、優勝者は高沢さんでした。 今回は優勝者、準優勝者、第三位は女性でしたよ。 女性が強い年かなぁ。 おとは10位でした。
  大会が終わって、楽天家に行きましたが長島さんがいませんでした。 家に着いたら宅急便から不在連絡が来ていました。 高沢さんから電話が来て、2月9日(日)、県ダーツ大会の参加を聞きました。
               2003年1月11日 おとより

   ☆歴史・民俗に見る成人式の由来
 1月といえば、成人式ですね。 3年前から第2月曜となったが、それ以前は15日と決まっていました。 最近は荒れる成人式がマスコミを賑わし、眉をひそめる人も多いですね。
 でも、成人式とは一体何か? 実は、現在のような自活体主催の成人式の歴史は古くないです。 15日を「成人式の日」と定めたのは、昭和23年(1948年)施行の「国民の祝日に関する法律」であり、成人式が全国的に広まったのはそれ以降のことでした。
 ただし、それには前史があります。 埼玉県蕨町(現・蕨市)の成人式です。 終戦翌年の11月、復員や物資欠乏という世相の中、若者を元気づけようと、地元の青年団などが主催してお汁粉や芋菓子を振る舞ったとの事です。 蕨市はこれが成人式の最初だとして、発祥の地をアピールしています。

 しかし、もう一つ、実は成人式には戦前の徴兵検査の名残があるのです。 明治以降、満20歳に達した男子がこれを受けることが成人のしるしとされていました。 
 それにしても、肉体年齢からみれば20歳では遅すぎます。 近代以前も大人への成長過程は社会の大きな関心事であり、男子は元服、女子は裳着という成人儀礼が行われていました。 記録に残る元服の古い例は、和銅7年(714年)の聖武天皇の14歳などで、裳着は「栄花物語」にみえる一条中宮彰子の12歳の例などが知られています。
 中世から近世の武家社会では、有力者を仮親に立てて行う烏帽着の祝いが一般的でした。 そして、有名な山城国一揆(1485年)でも、集会する男子は「上ハ60歳、下ハ15、6歳」とされたように、一般農民も含め、成人への年齢は男子15,6歳、女子13,4歳あたりと基準とするのが伝統的でした。
 昭和の前半くらいまで日本各地に伝えられていた民俗では、男子15歳のふんどし祝いや女子13歳のゆもじ祝いなど、性的成熟に対応する儀礼が多かったようでした。
 そして、一人前として認められるには一定の力仕事、労働能力も当然要求されました。 大阪府泉南郡では水田で牛を使い、五斗俵を背負うことができると、煙草を吸うことが許されました。 また、共同生活の能力も叩き込まれました。 

 つまり、成人儀礼の基本は厳しい試練とそれに耐えることにあり、現在社会では大学入試や社員研修などにその伝統をみることがあります。 成人への入り口は性的成熟であり、途中で厳しい試練を乗り越え、最終的にはよき伴侶を得るひとで完了するのであります。 そのためにも、若者の特権は何より恋をすることです。 
 「大夫や片恋ひせむと嘆けども鬼の大夫なほ恋ひにけり」。 なさけないこととはわかっています。 でも、こんな醜い男でも恋に身を焦がしてしまうのです(オト)…………。 若者の熱い想いを詠んだ万葉集より。
              2003年1月11日 おとより

    七草粥
 正月七日に食べる七草粥(がゆ)のために、前夜からナズナなどの若菜を俎板(まないた)にのせ、包丁でたたく。 囃(はや)し言葉を唱えながらたたくのが古来の習俗であったといわれます。 「七草なずな 唐土(とうど)の鳥が 日本の土地へ 渡らぬ先に…」。
 もとは害鳥を田畑から追う鳥追いの歌ともいうが、なにゆえに「唐土の鳥」かは、よく分からない。 芳賀徹さんは「詩歌の森へ」のなかで、「夷狄(いてき)よけのまじないのような歌」と印象をしるしてい増す。
 唐土からの連想でいえば、日本史に残る疫病の流行は、遣唐使の制度が始まって大陸との交流が盛んになった7―8世紀に多発しています。 大陸への玄関口である太宰府から広まった天然痘では、藤原四家の当主らが相次いで死亡し増した。 一年の邪気を払う七草。まじないめいた歌には、遣唐使船などにより伝わったという遠い厄災の記憶も、あるいは宿っているのかも知れません。
 昨年は数々の「邪気」が食卓を襲った年であるーります。 中国産の輸入野菜で残留農薬が問題になり、牛肉偽装が次々と明るみに出ました。 唐土の鳥、日本の鳥を問わず店頭を追われた鳥の多かったこと。
 正月の暴飲暴食を反省するだけで通り過ぎることも多い七草だが、自然の恵みを自然のまま頂くことの大切さをかみしめる機会でもありす。 「七草の粥のあをみやいさぎよき」(松瀬青々) 。
                                2003.年1月7日 おとより

    ユニバーサル社会を目指して
 「私は、ユニバーサル・フォーク。 この体で小さな輪を作り、そこに指を通して食事する坊やもいれば、手に巻き付けるようにして食事する、握力の弱ったお年よりもいます。 オリジナルデザインを楽しむ若い人もいます。 使う人の体の状態や個性に合わせて、どんな変身もできるのが、私の得意技………」
 熱湯につけると変形し、冷水に浸するとそのまま固まる、特殊な樹脂を柄の部分に使ったフォークやスプーンがデパートなどに登場しました。

 いま、1億270万人が暮らしている日本の平均年齢は42歳。 されが2036年には50歳になり、国民の3人に1人が65歳以上という超高齢社会がやって来ます。
 団塊の世代が10歳代だった1960年、日本の平均年齢は29歳で、社会全体が若さに標準をおいてもさほど不都合はなかった。 だが、少子高齢化の波をもろにかぶる21世紀、モノも街も社会のシステムも、新しい姿に変わらざるを得ない。 
 道路や建物には段差というバリアがあります。 不自由な手では使いにくい道具も多いです。 また、国際化を反映して、日本に住む外国人も増えています。 年齢はもちろん、性別、国籍、障害の有無などにかかわらず、だれもが心地よく共生できる「ユニバーサル社会」実現の重要性が増しています。

 フォークやスプーンがささやく!!
 「どんなに年をとっても障害があっても、みんなが安心して楽しく暮らせる社会。 温かくて、個性的で、ビューティフルな日本へ!!  その幕開けとなる今年が、皆様にとって素敵な年で有りますように」。

  良い年で有る事を〜〜〜                  2003.1.2 おとより